NO.014 9.11トリビュートin大阪そして宮崎

Apr 07, 2010

20090916

先週末は9.11のトリビュートを大阪で次の日は初の宮崎でのDJと なかなか濃く充実した週末でした。

まず9.11の事から、、 2001年9月11日は東京初台にある某スタジオでNXSのリハをしていて、終わった後にDJであり古くからの友人であるTasakaから電話があり『NYが大変なことになってるみたいだよ!』と伝えられたのが最初でした。

その当時子供の事もありSan Franciscoと行き来をした後、NYに住もうと思いチケットをそろそろ取らなければ,という時期でした。

またワールドトレードセンターは前述してるトシオカジワラと96年に初めてNYを訪れた時に知り合い,すぐに意気投合して遊んでた時に彼らと一緒に登った事もあり、あれが潰れたというのは、いろいろな意味でリアリティーがあったのです。

2000年にはアフリカ北西にあるモロッコに行った体験もあり、 イスラム文化の美しさ,深さに感銘も受けていたので,その後一方的なアメリカ政府によるタリバンによるテロ説でバッシングされるイスラム世界に対して,どう考えても納得出来るものはありませんでした。 余談ですがP VineからリリースしたJUZU WORXの2曲目は モロッコのカサブランカでのフィールドレコーディングが収録されてます。 そこでの体験、それはその時何日間かステイした宿の下が1階2階を行き来出来るバークラブで,1階がBOSSのドラムマシーンをベースにダラブッカ(パーカッション)、キーボード、バイオリン、歌というような編成だったバンドが演奏していて、変拍子(というか 奇数の拍子)を多用しながらもなかなかプログレッシブな音楽でNXSともシンパシーを感じる興味深い音楽でした。 そして2階は、、70近い老人のサズ(ギターの原型のひとつ) 弾き2人のデュオ!これがまた素晴らしく、、 その後その老人達が僕みたいな東洋人が珍しかったのでしょうか、 声をかけてくれて 『何処から来た?』『日本から来ました』 『そうか、わしらは日本人を本当に尊敬してるんじゃ。 日本人は最初に西洋人に喧嘩を売ったからだ。わしらは本当に尊敬してる』 という会話からいつの間にか,そのお互いの拙い英語での会話 でお互い涙ぐむまで意気投合出来たのが忘れられません。 (モロッコではフランスに占領されてた影響でフランス語そしてアラビア語しか基本的に話せる人がいません) そ の後もモロッコ国内を旅行中に出会う人間達(主に年配の人)から聞く、欧米による不条理な統治、管理でその文化そのものが破壊されていってる現状を聞き、 全くもって他人事ではなく,僕ら日本人,そしてアジア人が、同じような境遇を味わっているという、まさしく自覚がメラメラと湧いてきたのです。

ゆで卵を茹でるようにぬるい水が段々と熱湯になるのを気づかずに 殺 されてくように、今の僕らの現状は自分等が何者で何処から来たのかを分からなくされて、コカコーラやマクドナルド、スターバックスに囲まれ、コンビニ、 車、インターネット!に翻弄される日常を、ただ生きてるだけでは、いつの間にかどのような人格が形成され、どのような人生が全うされるのでしょうか。

いわゆる文明や科学,もっと言えばすべての欧米から輸入された産業全てを否定するつもりは全くありませんが、僕自体は海外に出てこのような老人や年配の人達から聞いた話は,多くの重要なメッセージだと、もっと言えばインスピレーション(霊感)の源になっています。

それ以前に体験したバリでのガムラン等アジアの文化からの影響、 それ以降に体験したブラジル、キューバ、ジャマイカ等での 宗教儀式、それに伴う彼らの歴史,その過酷な状況から生み出された 文化の権化ー音楽ーに全ては繋がっていったのです。

話は飛躍しましたが、9.11当時の僕の心境は、まさしく混乱、 まさしく混迷、自分の人生、そしてこれからの世界に対する展望をどのように掲げるか。。。

その直後にバカ小泉が調子に乗って、正義の味方気取りで自衛隊を派遣すると言い出し、今後の徴兵制、軍国化を示唆するような発言まで飛び出す始末。

別に僕は愛と平和の使者を気取るつもりはサラサラありませんが、 他人の金儲けの戦争に巻き込まれるのは、まっぴら御免ですし、 まさしく罪もない人間達を,恨みも無い人間達を殺す事に加担する事は、自分の人生において全く必要の無い事です。 自分がまだ強制的に連れてかれるなら(過去大日本帝国とやらは、それをしていた)まだしも、自分の子供が15−6で連れてかれて 特攻隊とか言って,自爆を強制させる軍隊に何を望むのか。

その憤りが2001年12月に東京と広島で行われた和プロジェクトへと繋がっていきました。

その後本当に多くの出来事があり,今福岡という街に在住してるという因果を語るのには、あまりにも多くの時間が必要なので、またの機会に。

ひとまず自分も多くの人達と同じように,あの日何かが変わっていったのです。その後知る陰謀説(自作自演説)等も含め,この世界に落胆する事は多いのですが,テレビのニュースやインターネットでは 知ることは出来ない生の人間達の声を聞き続けていく為に旅を自主的にしなければと思う次第です。

少年よ旅を捨てて書を読め

がうちの親父の持論でしたが 僕は

少年よ本も読んで旅もしろ

というスタンスでやっていってます。 また余談ですが、、

ちなみに今回の大阪でのイベントを企画した男 池上宗典は詳しくは彼のウェブを観てもらいたいですが、 大阪大正にあったSound Channelのファイナルパーティーに 友人であるKuranakaから紹介されたのが最初でした。 会っていきなり外で3−4時間話し続けるくらい意気投合したのは お互いあの日以降、自分でイベント(祭)をやり、それでも 何も納得がいかず、動き続けているというところでしょう。

今回のイベント自体はまさしく大阪ローカルという感じで 笑いあり、涙ありという浪花節でしたが、朝5時過ぎから 彼の映像とのSessionは観てくれた人、聴いてくれた人から 感度したとの声も聞けたので良かったと思っています。

何かを観て,何かを聴いて,何かを触った後にそれを他の人に伝えるのに、本当の自分の感情?を表現する手段として芸術があると 信じれば,今の現状もまだまだ修行中の身なのです。 映画コンタクトさながら、それを伝えるのは詩人でしかないと。。

この場を借りて池上宗典とその家族、またその友人達の熱い魂に 最大限のRespectを。

次の日宮崎は前日の流れでしょうがなく,1時間くらいしか寝れないまま、福岡空港に到着、そのまま4時間車で宮崎に特攻しました。 Hikky the Madnessとうちの家族共々。そして現地で待っていた 弟分達Mono Safari達とも合流し、初の宮崎でのDJも盛り上がり、 その次の日は浜辺で本気のサッカー、ボウリング、そして朝まで Hikkyの熱いプロレス談義(三沢とメキシコプロレス講義) まで堪能。 次の日は第三セクターとして栄華を極めた?シーガイア跡地の 動物園でトラの勇猛さ、象の気高さを感じつつ、 1000円で遊園地乗り放題という事でみんなでユルめの乗り物 マッドマウス!等を堪能しました。

久々に体も前回で動かせましたし、良い時間場所を提供してくれた Lab Undergroundの藤井さん、オーナーさん、一緒に戦ってくれた?クルー達にRespectを!

ちなみに店の音かなり良い感じでした。かなり機材にこだわっている店で機会があったら是非行ってみてほしいです。

次は九州の重要拠点 阿蘇でのRave! Volcano Asoです。

今年最後?の野外でのPlayです。これまた福岡に住む気を起こさせた場所なので楽しみです。

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