NO.032 NYC2010 pt1

Apr 07, 2010

20100221


福岡に戻りました。
1週間くらいの旅でしたが、濃厚でした。

今回は札幌Precious Hallのオーナーの悟さんからの
お誘いでNew YorkでのThe Loft40周年に参加してきました。
既にTwitterでは少し情報を流しましたが、
改めて、、良かったです。

実はその場所に到着するまでに一悶着(2、3?)あり、
そこまでにたどり着いただけ奇跡の連続というか、
思し召しと申しましょうか。。。

以前、5年前にも35周年に参加したのですが、前回よりも
個人的には楽しめました。なにせ札幌軍団が14名以上もいたので
そのチームにも楽しませてもらった感じもします。

Party最後には改めて日本人の多さに気づき、Loftが80年代に
人が少なくなり、運営が困難になった時にも日本人が陰ながら?
支えていた話も思い出しました。
なのでDavid的にも日本人に対する信頼は厚い様です。

その5年前には友人のJoe Calussellがその当時やっていたPartyで
DJもさせてもらい、そのままJamaicaにレコーディングにも
行きました。
すべての場所で日本人が深く関わっている事を痛感した旅で
あったのですが自分の中では日本人の義理堅さは世界でも
誇れる事だと思います。

うちの親父が自分が10代の時に、
『いいか?中国には義という文字はあるが、正義という文字は日本にしか
無いんだ。だから俺は右翼の街宣車を観ると胸が熱くなる!』
と冗談?を言っていたのも思い出します。。

そのDavid MancusoのLoftは現在日本では札幌だけで定期的にやっています。
サウンドシステム等諸々用意、準備する物が多く、
普通のDJのようにただレコードバッグを持ってくれば、出来るという
わけではないので、やれる人、場所は限られます。
(ちなみに札幌ではPreciousの別店舗としてFillmore Northを創ったので
いつでもDavidを呼べば出来るという状況まで持っていっています。
凄い事だと思います。。)
ある意味本当の伝統芸能なのです。

40年。。
伝統芸能としてはまだ歴史は浅いですが、NYという人種の坩堝から生まれた
革命的な音楽演奏表現、舞踏、集会、儀式。。。

この2010年までにDJ partyというスタイルは世界そのものに
影響を与えたと思います。

孤児院出身のDavid Mancusoというイタリア系移民の男が
創りだした夢は僕ら第3−4世代まで確実に継承されていると思います。

彼の、商業的なDiscoのスタイルとは一線を画した、その
ホームPartyスタイルは今のClubという文化の元祖だと思います。
あくまで音楽を重要視し、その上でのUNITYを即すという。。

彼はWoodstock参加者でもあるのでヒッピー的な要素とビートニク等の
影響等もあると思います。若い時にトリニダードに行った話等もあるので、
早くからWorld Music的な要素もあったと思います。

自分が最初に彼のPlayを体験したのは、やはり前述した悟さんからの
お誘いで東京青山のCayでのGalleryクルー主催のLoftでした。
とにかく爆音系!だった自分としては、もちろんその音の感覚の違いに
和食的な音のワビサビまで感じましたし、素晴らしい機材によって
浮かび上がる3−40年前の音楽が、まるで今演奏されているように
聴こえた事で改めて音楽の永遠性に気づいたのが衝撃でした。

青森ねぷた祭でも感じた音楽の永遠性。口承としての伝統文化とは違いますが、
レコードという、まさしく音の記録で知る人類の貴重な奇跡の歴史。。

ファンタスティック。。。

、、、なんか浸ってしまいますが、とにかくLoftもDavidという
演奏者が存命中にしか聴けません。
もしかしたら後継者が出るのかもしれませんが、、

そう考えるとすべての楽器演奏者の発端者は凄い演奏だったんでしょうね。
(シタールや雅楽の笙(しょう)等、人類が創りだした楽器は凄い。。)

とにかく音楽に浸りながら久々に踊りました。

Loftが終わった後はJoe ClaussellがやっているSOB’sに直行。
Tha Blue HerbのBoss達とも合流。其処でJephté GuillaumeをJoeから
紹介されたのが後日縁を生みます。

ひとまずまた明日でも続きを書きます。

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