NO.041 沖縄で観た事、感じた事 リポート 1

Jun 30, 2010

NO.041  20100630

沖縄で観た事、感じた事 リポート    1

今回の沖縄でのツアーの根幹にあるのは6/23の慰霊式でした。

この日の意味は,沖縄においては大きく、本土では普通に平日ですが

現地では休日になります。日本国内で県によって休日が有るというのは

個人的には知りませんでした。他の県でも、独自の休日は有るのでしょうか?

ひとまず今回も恒例のNu-Doh akaアリトのお迎えで沖縄空港から直接Sinkichiの

家があるKozaに向かいます。

アリトとの出会いは、東京にあったClub Cave(現Module )にて

毎月Rhythm FreaksのメンバーでDJをしてたのですが、

僕らがB2FでB1FがJazz BrothersのSahibことYamaさんと

アリトだったので、そこらへんから仲良くなりました。

年が近いのもあり、元ヤンキーだったのが事故がきっかけで更正。。

沖縄から上京してからも,その経験(何日間か危篤状態だった)を生かし、

介護関係で勤める、元ボクサー、という経歴も面白く、

人間的にも音楽人的にも、かなりRespectしてます。

そんな彼は6年前に地元沖縄に帰り、そのまたCoreな地元与那原の

地域活性のため,お祭りやイベントを盛り上げ、将来的には政治家になるのも、

周りの人から求められるまでになっています。

そろそろ僕らの年でも、そういう有望な人が,この混迷を極める状況に積極的に

建設的な参加をしてくれるのは大賛成です。

コザというところは一番都会である那覇市から高速で40分くらいの

ところにある島の中では中央に位置する都市です。

基本的には戦後のコザが米軍の慰安地帯?として栄えたので有名ですが、

現在はこういうご時世ですので,米軍関係者が夜1時以降出歩くのを

自粛させてるので、かなり閑散とした状態です。ほぼゴーストタウン。

これはどこの地方都市にも言えますが、ある産業が栄えた後は、そのまま

店や工場だけが残り人々は去っていく。。

Ruins,,この時点で郷愁を感じます。。

特に基地ともなると、本当にその施設が置いてかれた場合、

今の他の地方都市と同様、どのようにその土地を違うやり方で

再生させるかは,アイディアも必要ですし、予算も必要ですし、

なによりも若い力と意識がなにより、必要とされます。

その若い力が、産業に吸い取られるだけ、吸い取られ、自主的に

地元を盛り上げようとする人間を育てる事が無かった為、

なにか他の企業や産業に依存するしかない状態の

人間ばかりになってしまい、彼らはそのまま他の地方、大抵は都会に

去っていってしまいます。

そんな老人しかいなくなった街に、お金をちらつかせながら

忍び寄る原発産業の人間達。。あまりにも。。

話を戻して、慰霊式。

この日は朝早起きして,今回のツアーにカメラマンとして同行した

浅野君を飛行場まで迎えにいってからスタートしました。

現地までは予想通りの渋滞。でも目的が目的なので決して

イライラしたムードではありません。

子供も年寄りも歩きの人達も多いですし、黙々と歩くその姿に

ただならぬ気迫さえ感じます。

もう既に戦争体験者は数えるほどにしかいなくなってきて、

あと5年もすると、壊滅状態になると言われている状況で

今だに沖縄に基地を増やそうという考えに同調出来る訳が有りません。

彼らの顔には若干の怒りが感じられました。

その式が始まると首相の管氏が来てるのもあり、物々しい雰囲気で

首相が登場すると、やはり予想通り野次が飛びます。

でもおそらく横のオバア(ちゃん)から『せっかく来てくれてるのだから

話を聞きなさい』とでもいわれていたのか、沖縄特有のなごやかな

やさしいヴァイブはキープされていたように思います。

幾人かの政治家達が短い言葉を述べていましたが、現在の沖縄知事は

今回の基地反対の盛り上がりが起きる前は,普通に基地建設を

認めていた人なので、彼の口から沖縄の過去や未来について語られても

、誰かが書いた文章をただ棒読みしてるようにしか聞こえませんでした。

中でも心に響いたのは,詩を朗読した中学生の言葉でした。

彼女の意識が皆に伝わっていくのが、見えるような名演説だったと思います。

やはり政治家ももっと若い世代ががんばっていかないとダメだと改めて思いました。

式自体は昼過ぎに終わり、それぞれがお墓等にお参りに。僕らは

平和記念公園を散策。そこでお会いしたおばあさんから貴重な話をお聞きしたのは

ビデオに収めています。近日お見せ出来れば,。。

資料館では先日後悔したKOZAのPVでも使われている,映像等が見られ、

いかにその当時の沖縄が日本全体の中でも特に過酷な状況にあったか、改めて

思い知らされました。

やはり理由はこの国の民族統一運動による(言葉では矛盾しますが)差別です。

日本は単一民族 みたいな発言も多々有りますが、当たり前ですが

この国は断じてひとつの民族で構成はされていません。

民族問題に関しては、詳しくはそれぞれ掘り下げて欲しいと思いますが、

少なくとも戦前の沖縄の人間に対する本土の兵隊の扱いは、

あきらかに奴隷だったと思います。

下記wikipediaから抜粋。

沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず!!

正確な数は不明だが、

1950年の沖縄県援護課の発表では以下の数値である。

C+Dの9万4000人が住民犠牲とされる。

沖縄戦の日本側死亡者:    18万8136人

A:県外出身日本兵戦死者 6万5908人

B:沖縄県出身軍人・軍属   2万8228人

C:戦闘参加者                  5万5246人

D:一般住民                     3万8754人

うちDが推定となっているのは援護課が一般住民の犠牲者を直接に調査せず、

1945年と1946年の沖縄県住民数の差から、援護課で戦闘参加者として認定した

数Cを差し引いた数をDとした為である。終戦直後の1946年統計は戸籍が焼失したり

一家全滅が少なくないなどの事情により誤差が大きいと思わ れ、また、

昭和21年の人口には、沖縄戦の後で生まれた子どもや、戦時中は沖縄県に不在だった

本土への疎開者、海外からの引き揚げ者・復員兵が多数含まれ るため、

計算上の人口減少より実際の戦没者数の方が大きいと推定される。

なお、沖縄県民の犠牲者15万人とする場合もあるが、これは沖縄県出身軍人

(上記B)や地上戦域外での餓死者・病死者までも含めた数値である。

そこで第二次大戦といわれるものはどういう事だったのか?

これは今の日本の基地問題のひとつの重要な根幹です。

(それだけではないと思いますが)

第二次大戦

下記は資料が続きます。from

第二次世界大戦での主な国の犠牲者数

国  名     兵  員  の           一般市民の

                         死  亡        行方不明      死   亡

アメリカ     407,828      —      —

イギリス     353,652     90,844     60,595

フランス     166,195      —     174,620

ポーランド            (6,000,000)

ソ  連            (20,000,000)

中  国            (10,000,000)

ド イ ツ        2,100,000    2,900,000    500,000

イタリア       389,000    214,647     179,803

日  本    約2,300,000              約800,000 (単位 人)

日本の兵員のうち、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、約5万人を含む。

こらだけ観ると。。うちの国やけに多くない???

って感じですね。。

下記を観ると世界各地に軍隊として行って亡くなっているのが分かります。、

太平洋戦争における主要地域別陸海軍人・軍属戦没者数一覧表(旧厚生省調べ)

戦争当時の国名・地名    戦没者数(人)

日 本 本 土       103,900

沖     縄       89,400

朝     鮮       26,500

台     湾       39,400

旧  満  州       46,700

中 国 本 土       455,700

小  笠  原       15,200

南  鳥  島            857

硫  黄  島       20,000

中部太平洋諸島       197,600

樺     太       8,800

ア ッ ツ 島       2,600

フ ィ リ ピ ン       498,600

仏     印       12,400

マライ ・ シンガポール        11,400

タ     イ       7,000

ビ  ル  マ       164,500

アンダマン ・ ニコバル        2,400

ジ  ャ  ワ       6,500

ス マ ト ラ       3,200

ボ ル ネ オ       18,000

セ レ ベ ス       5,500

モ ル ッ カ       4,400

西部ニューギニア・小スンダ     82,600

東部ニュ−ギニア     127,600

ビスマルク諸島       30,500

ソロモン 諸 島        88,600

マーシャル諸島       7,790

ギルバート諸島       5,214

旧  ソ  連       52,700

※もとの軍人、軍属、一般邦人を含む

※支那事変関係戦没者188,000人を含む

※国名、地名は大戦当時のもの

アジアでの戦争での被害者、、

太平洋戦争の犠牲者

国、地域名   戦争犠牲者数(人)  出典、参考資料

タ     イ     8,000   図説ユニバーサル新世界史資料(帝国書院)

シンガポール・マレーシア    100,000以上 キーワード日本の戦争犯罪(林博史ほか著、雄山閣)

インドネシア    4,000,000   サンフランシスコ講和会議でのインドネシア政府見解から

ベ ト ナ ム   2,000,000   1945年のベトナム独立宣言から

中     国   10,000,000以上 中国国務院「中国の人権状況について」から

ミャンマー(ビルマ)    150,000   キーワード日本の戦争犯罪

韓 国・北朝鮮    200,000   キーワード日本の戦争犯罪

フ ィ リ ピ ン     1,110,000   フィリピン政府調査から

ガダルカナル攻防戦(1942.8〜1943.2)  日本軍上陸部隊の20,000人以上が死亡

インパール作戦  (1944.3〜7)    将兵の8割以上が死亡

フィリピン防衛戦 (1944.10〜1945.8) 日本陸軍だけで320,000人が戦死

≪引用及び表作成の参考:中日新聞(2005.8.7) 中日サンデー版

世界と日本大図解シリーズ№695「戦後60年アジア太平洋戦争の戦跡」≫

下記は民間人を含むものですね。

大東亜戦争における主要戦域別日本人戦没者数一覧

日 本 本 土      700,000

沖     縄      186,500

樺太・千島・アッツ島      24,400

台     湾        41,900

硫  黄  島        21,900

中 部 太 平 洋         247,000

朝     鮮        53,500

中国東北部(旧満州)     245,400

中 国 本 土      465,700

ソ  連  邦        52,700

モ ン ゴ ル       1,700

フ ィ リ ピ ン         518,000

仏領インドシナ        12,400

ボ ル ネ オ        18,000

スマトラ・ジャワ・セレベス・小スンダ    25,400

モルッカ・西部ニューギニア       53,000

東部ニューギニア     127,600

ビスマルク・ソロモン諸島       118,700

タイ・マレーシア等      21,000

ビ  ル  マ      137,000

イ  ン  ド        30,000

総    数     3,100,000(概数)

≪財団法人千鳥ヶ渕戦没者墓苑奉仕会ホームページの図表を参考にして作成しました≫

この310万人というのが日本人で(多民族として)第二次大戦で

亡くなった総数と捉えて良いでしょうね。

凄い数です。

アジア太平洋戦争におけるアジア諸地域の戦争被害

(死者、経済的・物的損害額、日本が獲得した資源)

地   域     死亡者(人)

日     本   3,100,000以上

朝     鮮   約200,000

中     国   10,000,000以上

台     湾     30,000余

フ ィ リ ピ ン     約1,110,000

ベ ト ナ ム   約2,000,000

タ     イ     不詳

ビ  ル  マ   約150,000

マレーシア・シンガポール    100,000以上

インドネシア   約4,000,000

イ  ン  ド  約1,500,000

オーストラリア     17,744

連合軍将兵・

民間人・捕虜    約6万数千 (オーストラリアの死者のうち約8,000と重複)

合   計   日本を除く死者:1,900万人以上

アジアにおいての日本軍、日本人のイメージは本当に賛否が有ります。

基本否定的な意見が多いのですが、肯定的な意見があるのも

見逃してはいけないと思います。

さあ世界に目を向けると

第二次世界大戦の死傷者

国   別            軍       人                             一般人

                     戦死、傷病死                      捕虜および     戦争に起因    死者総計

                       および収容          負 傷      行方不明     する死亡    (推定)

                         での死亡

連合国

ベルギー      12,000                     76,000      88,000

ブラジル       943    4,222                          1,000

イギリス連邦   373,372   475,047    251,724      92,673        466,000

オーストラリア    23,365   39,804      32,393              24,000

カ ナ ダ       37,476        53,174      10,888                 38,000

イ ン ド         24,338    64,354      91,243

ニュージーランド   10,033     19,314      10,582               10,000

南アフリカ         6,877      6,972      22,323                7,000

イギリス      264,443   277,077     213,919      92,673      357,000

諸植民地         6,877        6,972   22,323                7,000

中   国     1,310,224    1,752,951   115,248

チェコスロバキア    10,000                  215,000    225,000

デンマーク      1,800                 2,000        4,000

フランス       213,324     400,000          350,000      563,000

ギリシア         88,300                325,000     413,000

オランダ      7,900       2,860         200,000     208,000

ノルウェー        3,000                 7,000      10,000

ポーランド       123,178  236,606     420,760   5,675,000     5,800,000

フィリピン        27,000                  91,000      118,000

アメリカ合衆国    292,131  671,801    139,709        6,000     298,000

ソ   連    11,000,000                 7,000,000   18,000,000

ユーゴスラビア    305,000    425,000           1,200,000     1,505,000

枢軸国

ブルガリア      10,000                            10,000       20,000

フィンランド     82,000    50,000            2,000        84,000

ド イ ツ    3,500,000    5,000,000    3,400,000   780,000  4,300,000

ハンガリー     200,000          170,000     290,000       490,000

イタリア      242,434   66,000     350,000     152,941       395,000

日   本    1,300,000  4,000,000   810,000     672,000     1,972,000

ルーマニア     300,000              100,000       200,000       500,000

かなりの広範囲でまさしく大戦が繰り広げらえていたのが分かります。

東京出身の自分としては地元の状況を。

【本土爆撃の実態】

建設省が57年刊行した「戦災復興史」によると、全国の被災地は215都市 計

約645平方キロメートル、犠牲者は47年1月結成の全国戦災都市連盟が

113都市を調べた分だけで51万人、被災人口は964万人に達していた。

当初は、飛行機製作所、軍需工場が専ら狙われたが、45.3.10の東京大空襲以降は、

中低空で大量の焼夷弾を投下し市街地を焼き尽くす無差別爆撃が始まった。

東京は45.3.10の東京大空襲で

約27万戸を焼き、約8万4千人が死亡した。

<1,000人以上の死者を出した都市一覧表>(全国戦災都市連盟調査)

都市  死者数    都市  死者数     都市  死者数    都市  死者数

広 島 260,000  東 京  94,225   長 崎  74,604   大 阪  10,388

名古屋  7,802   神 戸  6,235   横 浜  4,616          浜 松    3,239

鹿児島  2,427   富 山  2,275        呉     2,062             堺  1,876

青 森  1,767   岡 山  1,737   静 岡  1,603   福 井    1,600

津    1,600   明 石  1,464    高 松   1,316        大牟田  1,291

日 立  1,266   千 葉  1,173    長 岡  1,167     八 幡  1,130

和歌山  1,101  佐世保  1,030

≪れんだいこさんのホームページから≫

やはり広島、長崎がダントツですね。

何が起こったかは言わずもがな。

当然大都市である東京も酷いです。

真珠湾奇襲攻撃の人的損害

アメリカ陸・海軍合わせて

戦死・行方不明・戦傷後死亡 2,402名

戦傷者          2,382名、

合計           4,784名(103名の民間人を含む)

日本側損失…飛行機29機、搭乗員54名、及び特殊潜航艇5隻、9名

《「図説 太平洋戦争」(1995 池田清編 河出書房新社)から》

真珠湾奇襲(1941.12.7(米国日付))の犠牲者

アメリカ海軍及び陸軍の将兵 3,300名

住民              68名

《「記録写真 太平洋戦争」(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》

これが有名な真珠湾攻撃。今で言うテロですね。

やはりここでも結構亡くなっていますね。、

ハワイネイティブの人達も犠牲になったのでしょうか。。。?

下記は沖縄戦に突入するまでに攻防を繰り広げた南の島々での戦死者

ガダルカナル島争奪戦

投入     戦死者

アメリカ軍 約七万名   約二千名

日本軍   約三万六千名 約二万四千名

《「記録写真 太平洋戦争」(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》

サイパン島で亡くなられた人々

サイパン島には、昭和19年6月当時、日本軍は、陸軍28,518名、海軍15,164名、

総計43,682名(いずれも推定)の将兵がいた。このほか、本土引き揚げに間に合わ

なかった二万名前後の一般邦人と約四千名の現地住民もいた。ここに、6月15日

より、米軍が上陸し、その将兵は六万二千名を数えた。

《「図説 太平洋戦争」(1995 池田清編 河出書房新社)から》

テニアン島

テニアン島には、南洋興発株式会社(社長松江春次)の募集に応じた移民として、

太平洋戦争開戦当時約13,000人の日本人居留民がおり、

当時の日本のサトウキビ生産の重要な拠点になっていた。

併せて、日本軍の基地が置かれており、開戦後兵員は増強され、

米軍上陸時には、陸軍4,000、海軍4,000、 計8,000人となっていた。

そこに居留民から組織された義勇隊3,500人(居留民の各世帯から

男性1人が徴用され、弾運び等に従事させられた)が加わり、

米軍上陸を迎えた。昭和19年7月24日、4万人の米軍が上陸した。

この戦闘により、日本軍は玉砕し、居留民は3,500人以上が命を落とした。

《NHKテレビ番組「シリーズ証言記録、市民たちの戦争」(2009.8.19放送)から》

硫黄島  昭和20年2月19日〜3月26日

戦死者数   (死傷者数)  投入兵士数

日本陸海軍 2万129人  約2万1千人  約2万2千人

米軍     約7千人  約2万8千人  約9万7千人

《「記録写真 太平洋戦争」(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》

死者数(推計)

ガダルカナル島  21,900人   アッツ島      2,600人

ニューギニア  176,000人   グアム島     20,000人

サイパン島    55,000人   ビルマ・インド 167,000人

フィリピン   518,000人   硫黄島      21,900人

沖縄      186,500人   本土空襲    500,000人

日中戦争を含む今時大戦死者総数 310万人(推計)

《TBSテレビドラマ「日米開戦と東條英機−あの戦争は何だったのか−」(‘08.12.24放送)から》

そして。改めて。。

沖縄での犠牲者

沖縄は1941年から始まった太平洋戦争の激戦地となり、

国内で唯一悲惨な地上戦が行われた場所です。

犠牲者数はアメリカ軍約1万2500人、沖縄出身者を含む日本軍約9万4000人、

沖縄の住民約9万4000人とされていますが、正確な住民の犠牲者数はわかっていません。

(沖縄修学旅行情報専門サイトから)

沖縄戦戦没者数

日本側            188,136名

├ 本土出身軍人        65,908名

└ 沖縄出身         122,228名

├ 軍人軍属              28,228名

├ 戦闘参加住民            57,004名

└ 一般住民              36,956名

米軍側             12,520名

総 計            200,656名

(『沖縄県の福祉』沖縄県生活福祉部援護課発行・平成元年版)

沖縄戦の戦没者と沖縄県民の犠牲

日本軍将兵           94,136人

├ 他府県出身者        65,908人

└ 沖縄出身者         28,228人(防衛隊員を含む)

沖縄県民で戦闘協力者      55,246人

民間の沖縄県民         94,754人

総     数         244,136人

(琉球政府援護課 1953年)

「平和の礎」刻銘者数出身地別一覧

日本 沖縄県         148,384

県外                     75,516

外国 米国(USA)         14,007

英国(UK)                    82

台湾                       28

朝鮮民主主義人民共和国              82

大韓民国                   309

合      計        238,408

(2002年6月23日現在)

《上2点「図説 沖縄の戦い」(2003 森山康平編 河出書房新社)から》

沖縄島作戦におけるアメリカ人将兵の人的損害

投 入   死傷者   戦 死

アメリカ陸軍及び海兵部隊 183,000名  39,420名  7,520名

アメリカ艦船上の海軍          9,731名  4,907名

(その大半は神風特攻隊の体当り命中によるもの)

《「記録写真 太平洋戦争」(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》

 
 

                               米軍が沖縄本土に最初の上陸した読谷村の浜

 

この海に戦艦が数kmにも地平線に並んでたようです。。

 

 

 

人種、性別、年齢問わず、、

 

これだけの死者。つまり魂が沖縄で消えていった事実は,

 

ただ単に数としてではなく、一人一人の親がいて,

 

家族がある一個人として捉えたいと思います。

 

一人一人の人生には、私やあなたのように生まれてから、

 

ずっとドラマがあるわけです。

 

そのドラマがこの時期、こららの土地で絶えていった。

 

そう思います。それぞれさぞ無念だったでしょう。

 

 

ちなみに資料館で聞きましたが、ひめゆり女学生も悲惨な結末でしたが、

 

中学生の男子児童もおなかに手榴弾を抱え、米軍の戦車の下に

 

飛び込み自爆する戦法が、かなり行われていたらしいです。

 

悲惨としか言いようがありません。

 

 

戦争とはそういうもので、途中から敵が誰だか

 

分からなくなってくるのでしょう。

 

 

 

 

 

そして米軍が恐れた特攻隊。

 

いわゆる今で言う自爆(テロ)行為ですね。

 

 

 

特攻隊員の戦死者

 

終戦までに特攻で戦死した隊員総数は海軍2506人、陸軍1404人に達したとされる。

 

そのほとんどが沖縄戦での戦死者である。

 

《「大日本帝国の戦争2・太平洋戦争」(1999 毎日新聞社)から》

 

 

 

ちなみに先日公開したJUZU/ Grace feat Shing02のPV

 

冒頭の海の映像は鹿児島県知覧にある神風特攻隊の飛行場からすぐにある

 

慰霊碑の近くの海、空の映像になります。

 

 

僕ら世代的には、それぞれの祖父、祖母が戦争体験者になります。

 

僕も少しは彼らから当時の話を聞いていましたが、

 

やはり、その状況は想像するに恐ろしい事でしょう。

 

何のために死んでいったのか。

 

 

神風特攻隊の飛行場にはそのヒントが多々隠されています。

 

確実に彼らは国等の為には死んでいません。

 

あくまで愛する家族が屈辱を受けないように

 

散っていったのです。

 

 

合掌。

 

 

あまりにも濃い内容なのでまた沖縄リポートは次回に繰り越しします。

JUZU / 

JUZU / Grace feat Shing02 from takamiya on Vimeo.

 

 

PS

 

 

今日Rammellzeeの悲報を聞いたのでBGMはこんなのばかりでした。。。

 

 

Beat Bop – Rammellzee + K-Rob

 

YouTube – JOHNNY DYNELL and NEW YORK 88 – JAM HOT (RHUMBA ROCK)

 

Johnny Dynell and New York 88 – Jam Hot

 

 Johnny Dynell – Rhythm Of Love (Funk)

 

Typhoon Dance “Vono” – Mit mir zum Siege”

 

Treacherous Three – Feel the heartbeat – 1981

 

Funky Four Plus One – That’s the Joint

 

A Hip Hop classic T La Rock It’s Yours

 

Man Parrish – Hip Hop, Be Bop (Don’t Stop)

 

Man Parrish – Boogie Down Bronx

 

Hashim – Al-Naafiysh (The Soul) Side B

 

Hashim – Get the Soul (Megamix)

 

Hashim (Al-Naafiysh) “Crime Of Passion”

 

Hashim – Chateau Vie (Castle Life)

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