NO.044 Eudysとグアンタナモとダンスについて

Jul 24, 2010

20100724 前回からの続き EudysのクレジットはMomentos,Remomentos Instroductions, Memoriesの中、各所で演奏されているのが分かります。 彼は本当にマルチなミュージシャンでピアノ、ベース、 パーカッション、そして友達から借りたというオールインワンシシンセで 打ち込みもやっているらしく、それも聴かせてもらいましたが、 まるでMono Fontanaの様な音楽でビックリしました。 彼とは昼間の誰もいない野外のライブハウス?、公民館?等 ゲリラ的に録音していきました。(一応許可は取って) 公民館?ではグランドピアノがあったのですが、いくつかの鍵盤は 弾いたまま上がってこないものもあったりして、その状態で 出来るのか?と聞くと 『No Problem』と答えてきたのは忘れられません。 今まで日本でしか録音も制作もやってこなかった自分が いきなりのキューバで、悪い品では無いですが,古くなって 完璧とは言えない状況の楽器を前にして演奏する ミュージシャンから出た言葉、そしてその演奏は 改めて楽器は道具でしか無く、演奏者の魂が入れば、 どんな粗悪なものでも、たちまち崇高な音楽になりうる。 つまり無から有を創りだす。。それは錬金術だと思います。 楽器や、体調がいい状態でないと演奏出来ない様なミュージシャンが 多いように思っていましたが(自分も含め)、この言動は大いに 学ばせてもらいました。常にミュージシャンはマジシャンでないといけない。。 それはあらゆる職業にも言えると思いますが、、 余談ですが,よく様々なクラブでDJをする上でミキサーを何にしますか? と聞かれて、出来るだけ音の良いものを、と答えますが、 基本どんなミキサーでも魂がこもっていれば、感動は伝わると思います。 ただ音を良くしようとしない事は怠慢だと思うだけです。 話を戻してEudysとは合計3日間録音しましたが、前述した通り、 現金を全て失った自分はIzponからのサポートで生きながらえていたのですが、 途中まったく財布を持たない状態が、何も守るものが,隠すものが無いという 事に歓びと開放感を持てた事は、この事態で学んだ大きな事のひとつです。 お金や財産があるとどれだけ,人の気分が重くなるか、 それが無いだけで、木々の美しさや、空の美しさ、そして音楽の素晴らしさを 感じるには、かなり大きな作用を及ぼす事が分かりました。 Hungryという言葉よりは、無我に近い様な。 自分の存在,その価値をモノとして捉えるのではなく、あくまで魂として 捉えれば、それはなんと自由な事か。 まさしく,そんな気分になると、一目も気にせず、道の真ん中でも 踊りだしたくなるのです。(実際してた様な、。) そして彼との録音最終日Izponからお金を借りて、皆でBarでも行って 打ち上げしよう!ということになって西部劇の酒場の様な錆びれたBarに入り、 ビールをたらふく飲みながら、皆で酔っぱらって,拙い英語とスペイン語で 語り合った時の一節も忘れられない記憶です。 Eudysがかなり酔っぱらいながら、『お前の音楽は美しいな』と 言ってきたのです。 その時のこちらから聴かせてた音源は、まだ30%にも達しない様な ラフなトラックを7−8曲聴かせたと思うのですが、そのラフな状態で 『美しい』というフィーリングを抱く事。 そして自分の日本での活動や、その様なDJ主体のトラックなどが ほとんど聴かれないキューバで (余談ですがキューバではレゲトンは大流行りでした。そしてEudys自体は Herbie HancockやKieth Jarretを好む、渋い男でした) 打ち込みだとか、生だとか偏見無く、それを言ってくれる感性にも驚きました。 こんなに多くの音楽が溢れている日本で、その偏見の無い見識は保つ事は 難しいかもしれません。 また余談ですが キューバから帰った直後、東京の実家に寄り、邪魔がられていた、 使わなくなったコンピュータとスケボー関係のTシャツ等を売りにいったのですが、 コンピューターはPower Mac液晶付きで1000円、 Dog Townの昔着てたTシャツは7000円で買い取られました。 どう考えてもコンピューターの方が手の込んだ制作物だと思うし、 アフリカ等に持っていけば,重宝されるのでは?と思いました。 (しかしコンピュータが人の生活を幸せにするかは別ですが、、) ともかく先ほどの彼の発言も,その後の活動に影響を与えたと思います。 それは言語がろくに通じなくても、 『美しい』というフィーリングは万国共通で、 それは性別や年齢,国籍等、ほぼ関係ない という事です。 その後様々な国に行って録音をしてきましたが、この時の体験が その後の活動に対する,大きな確信として原動力になったのは 言うまでもありません。 あともうひとつ、この日にあった大きな記憶は、 このbarでは基本さして良い音では無かったのですが、割と 大きめにサルサがかかっていて、 その音が外まで響き回っていました。 その音で若い、およそ15−6歳の真っ黒の男女数組が 真剣なまなざしで、クルクル回りながらサルサダンスを 繰り広げていたのを観た時に、 彼らはこの状態(旋回するダンス)をSEXをするよりも、 より高い次元の融合として、燃焼している。 そしてもし自分が宇宙人だとしたら(もちろん宇宙人ですが) UFOかなにかで地球を探索するとする。 そしていろいろな生命体。 鳥類、バクテリア、魚類etcの生体を観察してくだろう。 そのなかにこの人類という種族がいる。 この種族はこの地球でも特殊な生態系を持っている。 ある少数は大きなスペースをつかい、食べ物に溢れ、 多数は小さなスペースで飢えている。 誰もが決して,他の生命体の様に命を謳歌してるとは言えず、 孤独そうに、苦しんでいる。 また武器を使い,お互いを殺し合っている事も多い。 そんな人類という種族を観た時に、自分だったら この若い男女の旋回するダンスを、他の生命体、例えば 蝶やクジャクやシカやゾウ、熱帯魚等の求愛活動の様に、 そしてある意味、それ以上の高度なテクニックを持つ 芸術的な動きとして,面白く思うだろうな、と 思ったのです。 つまり人間の活動の中でもダンスという行為は、自分の中では 一番崇高なものだと思えたのです。 他者は『いや瞑想してる時の方が..』等と言ってきた事もありますが、 あくまで自分が観てきた人間の活動の中では、あの踊りは 最も美しいものでした。 海外で何回かコーランやミサ,等の宗教的な現場も観ましたが、やはり 生命力に溢れ、理屈を超えて、まさしく肉体を凌駕することで 神に近づく?ある意味スーフィー的な発想が 自分にはしっくり来たようです。 これらの体験が出来たグアンタナモという場所は前述したように 未だに米軍基地があり、中では不条理な拷問が続いていると思います。 先ほどの宇宙人としての観察から観れば、その現場は決して 感心出来るものではないでしょう。 自分の活動の指針としてこの様な感覚で常に世界を観る事は重要です。 僕たちは今、この瞬間を生きているだけで、前世も来世も 分かりませんし、それは確証もなく、それがあるかないか、 またそれがどんなものかを議論する事は、あまり有意義だとは思えません。 しかしこの僕等が生きる世界が、どのような歴史があり、これから どのような歴史を刻んでいくかを議論する事は、とても有意義だと思います。 僕等すべては、いずれにしても(それが幸福か,そうではなかったかは置いておいて) 男女(オスメス)が結合して、生まれてきたのは間違いが無い事実です。 それらが脈々と続いてきて,何億年か経ち、そしてこれからも続くという この世界は,一人の人生の短い時間の中で,理解し、堪能するのには あまりにも広大なものがあります。 (また余談ですが 先日自分よりひとつ下の友人が癌で無くなりました。 燃やされ骨の残骸と化した、そのモノに彼の魂が無いのは、明らかで、 その無常さ=命の短さ、魂の存在について考えさせられました。) よくポジティヴシンキングと昨今は都合よく使われる事が多いですが、 それはこの脈々と続く,生命の連鎖にとってPOSITIVEであって欲しいと思います。 一個人の、または一家族の、一企業や一国家にとって都合のいい 建設的POSITIVEな話ではなく、大きく捉える。 ネットで繋がる昨今の世界は、ある意味狭くなり、拡散して、飽和しつつあります。 一個人、一国家が曖昧になる時、ある意味本当の国が育つでしょう。 それを結びつけるのは、ネットそのものではなく、 美意識という感覚、感性だと信じたいと思います。 温故知新。 これは先日沖縄で行われた慰霊祭で偶然?出会ったオバアさんとの対話です。 悲しみ,失敗からしか、人間は学べないと個人的に思います。 これも数奇な巡り合わせのMomentosでした。

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