NO.046 過去を振り返り

Nov 03, 2010

久々の更新です。

8/15に出したアルバムMovementsのリリースから既に3ヶ月近く経ちましたね。
早い。
もう冬到来です。
以前から申し上げてるように、このツアーはある意味
2005年にリリースしたMomentosから続いているので
個人的には感慨一入【かんがいひとしお】です。

先週末の熊本でなにかしら一段落着いた感もあり、コラムも久々に
書きます。

福岡に移住したのが2002年の末なので
早8年経とうとしています。

ざっとその間にツアーした都市をあげると

北海道 札幌 釧路
山形
宮城仙台
岩手盛岡
福島会津
千葉木更津
栃木
埼玉
東京
神奈川
静岡
山梨
岐阜
長野
富山
福井
名古屋
三重四日市
愛知 名古屋
滋賀
京都
大阪
兵庫 神戸 姫路
島根 松江
広島
山口 防府 徳山
徳島
愛媛
福岡
長崎
大分
熊本
宮崎
鹿児島 鹿児島 奄美
沖縄

何処も忘れられない思い出があります。

それぞれの場所に人々が住み、生活があり、
それぞれの活動がありました。
それを垣間みれたのは、音楽という動きの
恩恵であり、使命だと思います。

自分も福岡という、いわゆる地方都市に
約8年間住む事によって自分でも気づかないほど
変わったようです。

自分の地元である東京からだけの視点では
決して見れなかった、人々の葛藤も感じれました。
グローバリズム、キャピタリズム
これらの恩恵は大きな都市ほど受けます。
反対に言えば、小さな都市ほど貧しくなっているのが
今の現状で、生きる事自体が厳しい状況のなか
音楽、Party,Club,Labelなどをやっている人間たちの
固い信念と葛藤を感じました。

東京やNYやLondonに生まれたら、好きな事がやれて
なにもかもがうまくいくと思われるのは、まさしく心外ですし、
それは大きな誤解なのは大きな声で言いたいですが、
(東京でどれだけの人が好きな事もやれず、何もうまくいかず
自ら死を選ぶ人達が多いかは、毎日の電車での『人身事故』の
数で明らかでしょう)
それでも自分と趣味の合う人を捜すだけでも、大変で
音楽を聴ける場所や、演れる場所や、売れる場所もない状況は、
確かに大変だとまさしく同情します。

ただ人間というのはどのような状況でも
満足する訳ではなく、東京に生まれようが、NYに生まれようが
大金持ちに生まれようが、その状況に満足で生きれる人は稀でしょう。
つまり常に無い物ねだりなのです。

ちなみに自分が育った環境は、環七という歩いて横断するのは困難な、
暴走族だけでない、暴走する車たちが常に走る道路のそばでした。
その通り沿いのラーメン屋は自分がそこを離れるまでに、5−6回は
店が変わり、噂によると大抵は、そこで事業を失敗した店主が、
そのままその道路に飛び込んでいったと聞いてました。
川も海も山も見えず、空は常にスモッグでグレーというのが
小さいときの印象です。
遊ぶといったら、塀をよじ上り、ビルよじをのぼり、
ほぼアスファルトしか無いので、必然的に4−5歳から
ローラースケートやスケボーをやっていました。

別にうまくなりたかった訳でも無く、ただ自由になりたくて
毎日のように糞プッシュしていました。

12歳から18歳まで完全に毎日ギュウギュウ詰めの満員電車に
揺られ新宿に通っていました。
(途中数ヶ月学校から来るなと言われましたが、、)

先日友人から漫画の鉄コン筋クリートみたいな世界だね、と言われましたが、
あんなに下町感も無かったので、殺伐としてた印象はあります。
時代的にもコンクリート詰め殺人事件等起きてましたし、
渋谷や六本木では、精神的に病んだ子供たちがチームという
徒党を組んで意味も無い犯罪に酔っていました。
ごく近いところでも、殺人一歩手前で捕まった幼なじみが
数人います。
15の時には幼なじみから『50万でトカレフ買えるけど買う?』
と聞かれ、金もないし、そこまで殺したいやつもいなかったので
断りました。
なんだったんでしょう。あの頃は。。

実際科学的な薬物で頭がイカれてたのも多かったですし、
バブルが沸点に達し、そして崩壊し経済的にも何かが
壊れ始めた前兆でした。
子供たちは敏感に反応するのです。

という事で19までは、本当に世の中はクソで、
全部ぶっ壊れちまえば良いと本気で思っていました。

その転換期はまさしく19で京都や静岡にライブやDJで行って、
美しい景色や食べ物、そして暖かい人達に接して
なにかが変わっていったのです。

逆に自分の生まれたところと全く違うというところで
が今まで行ったところで衝撃を受けたのは釧路です。

町中がテナント募集だらけ、シャッターだらけ、
メインの通りすら数人しか歩いていない
ほぼゴーストタウン。。
でもそこでやっている奴らは、少ない人数でも熱い
思いを持っていました。彼らに連れて行ってもらった
野生の鶴のつがいのいる場所や野生のXXの群生地等は
まるで夢を見てるようでした。

お金をいっさい払わずに入れる最高の露天風呂で
みんなで(女の子も!)入った時も、幻のようでした。

まず温泉なんて物が無く、水道水さえも危うい状況で
育った自分には、彼らの状況が反対にうらやましく
思ったのは確かです。

何処に生まれれば、幸せかなんて、一概に言える物ではないですが、
戦争や差別が横行する状況よりはマシでしょう。

今もその状況にいる人達が数万人いるのは間違いないですが、
これから自分が何処で生きるか。何をするか。

それを深く考えさせられたのは自分の子供が出来た年である
2001年の9.11でした。

自分の生まれた場所よりも、よりグローバル、つまり
様々な人種が入り交じる場所であるNYに本気で拠点を移そうと思ったのが
無惨にも、あの事件で覆されたのです。

あれから9年経ちました。

繰り返しますが、その間に福岡に移住して8年経ちました。

上記に述べた都市以外に、この9.11以降のこの9年間で積極的に
海外にも繰り出しました。

キューバ、
ベトナム、
オーストリア、
ジャマイカ、
クロアチア、
スロバキア、
インド、
ブラジル、
アメリカ、
オーストラリア、
台湾、
シンガポール、
メキシコ、
ハワイ、
イギリス、
トリニダートトバコ、

これらの国には旅行としてではなく、音楽関係の仕事として行ったのが
ほとんどでしたが、やはりそこに住む人達の生活や考えにも触れたと思います。

いわゆる第三世界という状況でもっとも衝撃だったのが
ジャマイカでした。

彼らが生み出した音楽レゲエは、現在の音楽シーンに超多大な影響を
及ぼしていますが、彼らの魂は決して恵まれた状況から生まれたとは
間違っても言えません。

有名なトレンチタウンは今だに冗談抜きで『裸足のゲン』の戦後直後の
シーンのようでした。
怖いとか言うよりは、いたたまれない、という印象でした。
彼ら現地のいわゆるジャマイカンは
(本当の原住民であるインディオは白人に絶滅された)
自分にとってはすべて紳士的で(女性も含め)まったく嫌な思いはしませんでした。
彼らから最後に出る言葉は『今度いつ来るんだ?』

これは来た人間にとっては本当に嬉しい言葉です。
嫌な言い方をすれば、ここに来た外人はお金を落としていってくれるから
こういう言葉を言って、また来てもらうように皆で決まり文句にしてるのでは?
とも思いましたが、でも必然的に参加したラスタの集会での
熱心に自分等の活動を説明してくれるその姿勢は、
こちらに何かを伝えようとしてるのは確かでした。何のために?


大きく言えば、これらすべての歓迎的な音楽の旅は既に魔術的でありますし、
それは自分が幼少から思い描いていた自由として結実してるとも言えます。

No Fear

これがスケートボードから学んだ最大の教訓です。

長くなりましたが、既に次の動きを始めるために、動き出しています。

今週から東京に入ります。

20101103



PS

BGMは福岡の至宝 Mahina Apple BandのTokiNeを何十回も聴いていました。

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