NO.051 東北へのボランティア部隊

Apr 29, 2011

昨晩東北から戻りました。
4泊したのですが、もの凄い重量でありながら
一瞬の経験でした。

まず日曜夜から湘南の仲間と待ち合わせして、
鎌倉でパンを焼きながら、それぞれの『あの日』から
を語り合い、朝を迎え、今回のメンバー7人が揃い出発。

まずは肉体労働者用の用品店で必要になるだろうモノを購入。

正直、今回参加するメンバー達は2人以外初対面で、しかも
何をするのか、内容は全く分からぬまま。。

ともかく泥まみれで作業をするという報告を受け、覚悟を決め、
長靴やゴム軍手等を購入。

今回のリーダーであるFreaky Machineのケンゴ君とは10代後半にやっていた
Evil Powers Meというバンドをやっていた時の対バン友達であり、
茅ヶ崎の親分です。彼は肉体労働経験も豊富で何をするべきか、
明確に分かっているようでした。
彼も小さい子供がいて、この放射能が蔓延する日本に幻滅し、
心配している一人です。

今回の震災から派生した原発の爆破など、社会的混乱の中
奮闘しているのは、Punk/Hard Core上がりの人間が目立ちます。

自分もそうですが、その当時80年代のその手の音楽のジャケットには
かなりの社会構造に対する批判が多く、その中でも
『核』についてはかなりのトピックでした。


ご多分に漏れず、しかもチェルノブイリの事故の後だったので、
中学生ながらも『反戦/反核』『マクドナルド等の食品会社や
オイルメーカー等の多国籍企業に対する批判』
には多大な影響も受けました。

また
早くから狂牛病等の危険にさらされていた
UKのHard Core Punksは、ベジタリアンが多く、
肉食の危険性にもフォーカスをあてていたのも
早かったと思います。

今回の東北でボランティアで動いてる人間の多くが、
Hard Core Punkを聴いていた人間達が多かったのが、かなり
印象的です。

そして始まったツアーは当初から、原発に近づくか、近づかないか
で討議があり、意見も別れました。

被曝とは見えないものなので、それがまたある意味精神的な
戦いに思えました。

ともかく2手に別れ、すぐ石巻に向かってボランティアをすぐにするか、
政府や企業からも見放され、食べ物が十分に届かなくなった南相馬市に
物資を届けるかという選択の中、もちろん南相馬を選びました。

2トントラックで福島を目指し、走っていくと段々と、高速道路が
ガタガタになっていきます。全く新しく舗装されたところもあり、
地震の規模が凄まじかった事を思い起こさせます。

道も未だに通行止めのところがあるので、迂回して南相馬に向かいましたが
津波に流されて無茶苦茶になった土地の光景が続きます。


そして簡易集配所として使われている民宿に着いたのはもう夜でした。
物資に群がっていたオバちゃん達に
創ってきたパンなどを渡しつつ、いろいろと質問してきました。
(個人的には子供にあげるイメージだったのですが、、、)


まず地震から津波までどのような状況だったか。

話によると
地震から約40分後津波が来るのですが、
それが運命の分かれ道だったようです。

もの凄い圧力の波が押し寄せてきて、引き戻そうとするその吸引力で
多くの人やモノが沖に連れていかれたようです。


老人の多くが流され、帰らぬ人になったようです。

また放射能が危険な状態にある、この場所をどう思うか?
どうしたいか?

まずこの南相馬には基本子供はいない様で、老人が
テレビの報道を観て、心配しつつ動ける人は、動くという状態なようです。

国や市からは、このような事態になって、どのようなサポートを
受けてるのか、と聞くと、

毎月では無く、1回ポッキリ5万が支払われたのみ!という事でした。。
衝撃です。

明らかに国や市の行政は原発の危険性を分かっていたはずで、
今もその危険性を隠そうと必死ですが、そこまで国民を
ナメてるとは、。、、

全国の原発がある県、そしてそれらの県と隣接したところに
お住まいの皆さんは、しかと覚悟しておいてください。

これが現実です。

そして説明が難しいのですが、この状況を端的に表す言葉の
ひとつとして、何人かのおばさん達に
何処で生まれたか?この土地を離れたく無いかと聞くと、、

ここに生まれた訳では無いから、未練は無いけど、
行くところが無いからね〜

ここに生まれたけど、家を買って造ったばかりでローンが
あるから、離れれない。(住宅会社はこのような状況になっても
平気でローンを催促するでしょう)
もしローンが無かったら、こんなとこすぐ出る。

と。。

なんて、惨めな、愚かな、悲しい状況なのでしょう。

土地を買う事によって、縛られ自滅していく

このすべてを金で換算する社会の典型的な犠牲者と言えるでしょう。

これだけでなく、先程述べた運命の40分の中でも、
様々なドラマがあった様です。

これは誰が悪いという事でもなく、精神的な、運命の、
神の?選択がある様でなりません。

ともかく
今何が必要なのかという質問に
生の野菜が足りないと。
レトルトはもう、、
服はいらない、鍋や調理器具はいらない。、


ここに集まっている人達は、家が流されずにすみ、
自宅で避難?している人達なので、そういうものは
必要なかったようです。

ちなみに避難所でもこれらのものは足りているようです。

ともかく、がんばりましょう、と言って、最近再開したコンビニ
(コンビニしか無い。それは地震前から?)で
野菜が売ってるのを観ると???先ほどコンビニはどうなのか?
と聞くとおばさんは言っていました。その集配所までは車で来てましたが、、

どうにか、肯定的に思おうとしましたが、、
この状況で 『貰い溜め』 をして自宅に食品等を溜め込んでいる人の
話を聞くと、なんだか分からなくなります。

ちなみに原発を造るのに、土地を売って1億近く貰い、
豪邸を建てた人の家は、そのまま津波で流された、とか
住民から聞くと、先ほどのなにか因果応報と言うか、
摂理を感じざるを得ません。

先日聞いた話だとこの一帯は原発産業から出る莫大な
口止め料を受け取っているので
ベンツ、BMWなどの外車が多いとか。。

ですが地域の住民がすべて、原発を肯定し、恩恵を受けていた訳ではありません。

信じられない事実ですが、原発がある地域の住民は子供から大人まで
洗脳に近い教育?を受けていて、本気で安全だと思わされ、もっと言えば
70年代は原発は最新技術を持つ施設として誇りさえ持っていたと言います。。

言葉もありません。。とにかく酷い詐欺師達です。。

ともかく今晩寝かせてもらう別荘地帯に3時間近くかけて車で走り、
到着すると、やはり気のせいか放射能は感覚的に弱く感じます。

そこでは様々なところから来たボランティアの人達とも会いました。

ほぼ同世代で、このタイミングで自由に動ける人達の
開放感等も感じました。
多くの人達は、この様な、放射能まみれの非常事態でも
今まで通り、会社に行き、店を開け、仕事を続けるしかありません。
(子供達はそれに半強制的につき合わされます)

それを否定するつもりはありません。
自分の腕に自信を持ち、
やっている仕事に誇りを持っている人達を心の底から尊敬します。
ですが、好きでもない、誇りも持てない仕事に、ただしがみつき、
意味も無い時間を過ごしている人達は、この機になにか本当に重要な事を
発見してもらえたらと思います。

次の日からの石巻編はまた近々に。。

20110429

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