NO.053 昨晩友人の子供のお通夜に行ってきました。

May 06, 2011

昨晩友人の子供のお通夜に行ってきました。 享年6歳。 福島第一原発から拡散する放射能から逃れる為、関東から 九州まで避難した先での、交通事故による死でした。

この事実を友人である、その子の父親から聞いた時には、 なんだか分からず、動転してしまい、何も言えませんでした。

落ち着いて考えても、意味が分からず、納得がいかず、言葉にならず、 ただ悔しくて、悲しくて涙が出るだけでした。

その友人の家には、よく音楽を制作しに行き、家族4人に混ざりながら ご飯を食べ、遊び、夫婦ともども共同作業させてもらい、 その2人の子供は、自分の子供とまでは言いませんが、 身内であり、家族のようなものでした。

彼の本当に愛くるしい姿が脳裏に焼き付いているので あまりにもその悲劇が自分の中で消化出来なくて、 また友人である、その子の親の気持ちを考えると、 あまりにも不条理な現実に恨みさえ感じます。

原発が無かったら、避難する事も無かっただろう。。

あんなバカ政府があんな対応をしてなかったら。。

世の中がこんな状況でなかったら、、

等と誰かのせいにしたくなるのは、子供じみているのでしょうか?

さて、 前回からの話の途中なので、気を取り直して、進めます。

夜の石巻から車を飛ばし、道が破綻してる為、遠回りで気仙沼を目指します。

途中暗闇の中決壊し、簡易的に造られた橋を渡ると、(後で知りましたが) そこは南三陸というところでした。

正直その名前すら今回知り、後で調べると、本当に壊滅的な津波を 受けたところだったそうです。

とにかく車に搭乗した男6人全員震え、怯えてしまうほど、夜の その町の光景は凄まじく恐ろしいものがありました。

まったく街頭が無い状態で全てが破壊し尽くされている。

まるで原爆でも落とされたかの様に。、

次の日の日中の光景です。

この状態の町を夜、車で通る事を想像してみてください。

怯えきった自分たちは、残された市街地でここらはどうなってるのか 聞くと、山の中腹にある町も30メートル近い波が、山を越えて襲ってきて 谷を越えてくるので勢いを増し、全てを破棄し尽くしたようです。

自分たちが想像していたよりも、遥かに酷い状況で、信じられないほど 津波というものが恐ろしいものか、見せつけられてしまいました。

正直このまま気仙沼に進むのは、意義があるのだろうか、という 疑問もメンバーの中に出ましたが、 『これら深刻な壊滅的被害を受けてるのにも関わらず、 不安を煽ると称し、報道しないメディアに代わり、自分たちが しかと観て、皆に伝えるのは意義がある事だ』と認識を新たに、 気仙沼を目指しました。

どうにか気仙沼に着き、宿を探すと、意外にもありました。 ビジネスホテルです。素泊まり4000円ですが、 話を聞くとつい10日前に1階全部津波で浸食されたのを 全面補修し再開したとの事。明らかに汚水の匂いは漂います。

全員飯も食ってなかったので、夜の町を車で食べれるところを 探しまくりましたが、残念ながら何処も、酒はあるけど 飯は無いという状態で、残念ながらまたもやコンビニ。。

無いよりはましです。。

皆で久々の個別の部屋でシャワーを浴び、数人が集まり、 さっき観た情景の恐ろしさ、これはいったい何が起きたのか、 復興とは、メディアとは、政府とは、この世界とは、、、

先ほど泥かきしたお宅で頂いた酒を飲みつつ語り合い、 ほどなく消沈。。

気を取り直して早起きして、 まず近くの弁当屋さんで弁当を買い(復興弁当280円!)、 元気を付け、気仙沼を目指して出発です。

ほどなく漁港に近づくと、、 奥にあるのは戦艦大和のような船、。転がってます。、。

木にぶら下がった布切れや布団を観ると、 話で聞く自衛隊の人達がまず現地で見た光景が 小さな子供や赤ちゃんの死体が木にぶら下がっているのを 降ろす、と聞いていたので、まだそれがありそうで、 恐ろしくなります。

あんな巨大な船やビルをなぎ倒し、破壊し尽くす津波の威力で 人間や動物はまさしく木っ端微塵でしょう。 。。。。

まだ数千体の遺体が回収出来てないのは、ある意味当然だと 理解せざるを得ない光景です。

その気仙沼を超え、僕らが目指して行ったのは 陸前高田という町でした。

何故か、、その日は3.11からの四十九日で、喪服の人達が目立ちます。

今回訪れている土地の神社に、今後このような悲劇が起こらない様に 祈って来ましたが、、、

親を亡くした子供。子供を亡くした親。 兄弟を友達を親戚を身近な人達を亡くした方たちを 想うといたたまれなく、その惨状を観て、いったいこの国に 何が起こってるのか考えます。

TPPの問題。

一番それを拒絶していた東北地方。

米、魚、野菜、畜産等の食べ物、その文化が必要としてるこの国の人達の 破壊はあまりにも惨く感じます。

三陸沖に停泊していた『ちきゅうごう』の話。 映像

そして原発の爆発。

それに伴う放射能の散布。

これから生きる人間達の現状。

ちなみに南三陸、陸前高田では、去年リリースした絵本Tamを

寄贈してきました。

こういう状況で自分が関わった作品が、少しでも『何か』になれば と想います。 (内容的に親を亡くした子供にはつらい話かもしれませんが、、)

さて今回のツアーの大詰め最終デザート。 女川原発に向かいました。

その女川の町は、、、

酷いありさま。

この状況が原発のお膝元とは、、

これで原発が無事なのでしょうか?

普通の思考なら考えずらいと思います。

残念ながら?原発への道は封鎖されて一般人は全く近づけないとの事で Uターンして関東に戻りました。

ちなみに高速料金は現地の専修大等に申請すると無料になるとの事ですが、 行きは、もう一ヶ月経っているので使えないと言われました。

 

しかしこの惨状を観て一ヶ月経って、復興してると思えるでしょうか?

料金所でそれを話し、8000円近くの高速料金が無料になりました。

しかも『おつかれさまです』と言われ。

今回のメンバーである ケンゴ君、タイスケ君。ヒロシ君。タカヨシ、タカオ、スギモトさん、キヨシ

どうもありがとう。最高のメンバーでした。

放射能まみれ、泥まみれの旅でしたが、 皆それぞれの熱い思いを分かち合い、とても良いものを得れたと思います。

皆さんも是非タイミングを見つけて、ボランティアをしに行って、現状を 認識しにいってもらえたらと切に思います。

それぞれ忙しい日常ですが、『何か』を得れ、『何か』が変わっていくと思います。

2002年にブラジルを訪れた時、2001年の9.11のせいで 世界が混乱し、自分たちもイベント等社会活動をして、様々な世界の 社会の問題にぶちあたり、その複雑な人間の業にぶちあたり、 いったいどうやって生きていけば良いのか悩みを抱えた状態でした。

飛行機でサンパウロに降り立ち、圧倒的な大きさのスラム街 の後にそびえる高層ビル群。排気ガスにまみれながら、その不条理な現状を 打破する様に巨大に成長する植物を観て、感じました。

『それでも生きろ』と。

あまりにもこの世の中は不条理です。

先述した友人の子供の死も、意味とか、運命とか、理解出来ません。

ただ不条理です。

それは何億年あるこの星の歴史そのものでもあるし、決して 勧善懲悪な世界では無いんだと思います。

それでも。。

続きます。

そして今

菅首相 浜岡原発 全原子炉の運転停止要請

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