NO.085  タゴール 教育

Oct 30, 2012

~あるウェブからの抜粋~ 

タゴールは、歴史にそびえる偉大な人物である。
これまでも何回となく論じてきたが、
きょうは、一点だけ、彼の「日本への警鐘」に触れておきたい。
それは、現代にも通ずる警鐘とされている。

熱烈な歓迎、冷淡な見送り
1916年(大正五年)五月三日、

タゴールは日本へ向けて、
インドを出発した。
船は、日本汽船「土佐丸」。
暴風雨に見舞われ、揺れに揺れて、
やっとのことで日本に到着した。「アジア人で初めてのノーベル賞受賞者として、
世界的に有名ななタゴールである
(1913年、文学賞を受賞)。

日本人は大歓迎した。到着の際には、
この「インド最高の大文豪」「世界の詩聖タゴール」を
大勢の人々が熱狂的に出迎え、取り巻いた。
タゴールはそれを「日本の埠頭に着くやいなや、
人間台風が襲来した」と回想している
(「日本紀行」、森本達雄訳、
『タゴール著作集』第十巻所収、第三文明社)

ところが、三カ月後、彼が日本を去る時には、
見送りはわずかな友人だけ。実にわびしく、来
日の時とは打って変わった扱いであった。
一体、その間に何が起こったのか。
何が日本人の態度をこのように大きく変えてしまったのか。
その背景には、タゴールの率直な「日本への警鐘」があった。
忠言が耳に逆らって、日本はタゴールに背を向けたのである。
日本で、タゴールは、次のように叫んだ。

日本は国家主義を捨てなさい!

国家に人間が押しつぶされ、
必ず滅びることになります。
人間主義を、とりなさい!


その道こそ、日本の輝ける使命の道ですと。
八十年前のタゴールの叫びは、
今の私どもの主張と一致している。
「他人の損失を気にするな」の日本

慶応大学の講演では、次のように語った。
「(日本が大きく掲げている)モットーの意味することは
『さっさと、自分の好きなことをやれ。
そしてそれが他人にどんな損失をもたらそうが
気にとめるな』
ということであります。
しかしそれは盲目的な人間のモットーであります」
「道徳的盲目さを養う国民は、
やがて突然の死によって、その存在を終わるでありましょう」
(「日本の精神」、高良とみ訳、
『タゴール著作集』第八巻所収、第三文明社)

日本は、道徳的に目が見えないのだ。
ゆえに危険な道が見えないのだ。
目を開きなさい!と。

国家主義が作る「経済ロボット」
タゴールは、日本が西洋の
「力の文明」
を真似して、
「武器によって魂を殺し」
「金もうけのロボットとなる」
危険を訴えた。

〈「人が力を欲するあまり、己れの魂を売って武器を増やすとき、
敵以上に大きい危険は己れ自身である」
「神の最も見事な創造物である男女が、
哀れな機械、浅間しいメカニズムの極致である、
滑稽なほどの空虚な、金儲け用のロボットとして、
『国民』工場から大量造出された」
(「ナショナリズム」、蝋山芳郎訳、同第八巻所収)
悲しいことに、タゴールの危倶の通り、
その後も、日本は「武器」によって
アジアの国々を侵略していった。
また、「金もうけ用のロボット」
自分たちの利益だけを求め、国際的な信義もなく、
大勢の人に尽くすという精神性もない。
それでは世界からの信用を失うであろう。

人の尻馬に乗って、偉人を非難
「力の文明」で隣国の民を圧迫するのではなく、
「魂の文明」によってアジアを連帯させよ!
このタゴールの叫びを、当時の日本は無視した。
それどころか、多くの日本人が、タゴールに向かって、
非難と中傷を投げつけ、
嫉妬まじりの軽薄な批判を繰り返した。
そのくせ、彼の書いたものを、
きちんと読んで批判している人は、
ほとんどいなかったのである。

正確な認識もなく、ただ、人の尻馬に乗って、騒いだ。
「日本国家を批判するとは、何とけしからん奴だ」と。
その結果が、29年後の亡国─すなわち敗戦である。
こういう日本人の性格は今も変わっていないと言われる。
かつて私は、あるインタビューで言った。

「戦前の日本は、軍備のあとを人間がついて行った。
戦後は経済のあとを人間がついて行った。
これを人間中心に変えなければ日本の未来はない」と。
この警鐘には、海外から共感のメッセージをいただいた。

中国の大発展を鋭く予見
タゴールは、当時、「弱い国」と見られていた中国が、
やがて巨大な力を発揮することも予言していた。
私も、三十年以上前、
日本が華やかな繁栄の上り坂にあったころから、
やがて中国が大いなる発展を遂げるであろうと予見し、
主張してきた。タゴールは言う。

「中国は、自分自身というものをしっかり保持しています。
どんな一時的な敗北も、
中国の完全に目覚めた精神を決して押しつぶすことはできません」

(「日本の野口米次郎への手紙」、
我妻和男著、『人類の知的遺産61-タゴール』講談社)

それに比べて、当時の日本の見かけの繁栄は、
借りものの文明のおかげであり、
「魂を滅ぼした」代償としての繁栄にすぎなかった。
それでは絶対に長続きしない ─
こう彼は言いたかったのではなかろうか。

そして彼は叫んだ。

国家悪を見抜きなさい!
国家の悪魔性の奴隷になってはいけない!
国には人格はありません。


むしろ日本は、
全世界に通じる普遍的な人間性を興隆しなさい! 


─ と(「ナショナリズム」「日本の精神」、
『タゴール著作集』第八巻所収、要旨)。

魂なき国は、必ず滅びる。
タゴールの警鐘は今こそ、謙虚に耳を傾けるべきであろう。
タゴールを石もって追った八十年前の過ちを、
日本は今、再び繰り返そうとしているように思えてならない。

次の文明は互恵の精神の上に
タゴールは、女性に大変に期待していた。
現在の動物的な「力の文明」をつくったのは男性である。
そこでは、人間が手段にされ、「機械」となる。
これからは、「魂の文明」を打ち立てねばならない。
それを育てるのは、女性が主役である。
私は女性に期待する! ─ と。
〈「歴史の現段階においては、
文明はほとんど男性のものであり、力の文明である」
「人間は膨大な機械的組織に適合しようとして、
自己の自由と人間性を失ってしまった。
次の時代の文明は(中略)互恵という
精神的理想の上に打ち立てられることをわれわれは望んでいる。
それを実現するときには、女性は自らの真の位置を見出すだろう」
「女性が自己の責任を自覚するなら、
彼女の新鮮な心と思いやりの力を、
精神的な文明の建設という
この新しい仕事に持ちこんでくることができる」

〈(「女性について」、山旦二夫訳、
『タゴール著作集』第九巻所収、第三文明社)〉


1910年、
インドに人間主義の教育を志向した、
一つの学舎が誕生しました。
ベンガル州・シャンティニケタン(平和の郷)の
“森の学園”であります。
創立者は、マハトマ・ガンジーの盟友であり、
世界的な詩人であるタゴールです。最初の学生は、
わずか五人で、教師も五人という出発でありました。

しかし、この学園こそが、
幾多の逸材を輩出してきた世界的な学府である
タゴール国際大学の激流なのであります。
当時の帝国主義の支配下にあって、
“型にはめる”教育ではなく、
学生たちが”自分で考え体得していく
“創造的な教育を目指しての精神闘争が始まりました。

とともに、創立者タゴールは、
虐げられてきた民衆を護り抜かんと、
自ら先頭に立って勇敢なる行動を続けていったのであります。

それゆえに、権力からは、さまざまな迫害が加えられました。
誤解や悪意の誹誇も浴びせられました。

加えて、相次ぐ家族の病死などの悲劇も打ち続いております。
しかしタゴールは、獅子でありました。

喜々として学ぶ、わが学生たちの姿を、
自分自身の励ましとしながら、
教育に、創作活動にと、
いやまして、全身全霊を打ち込んでいったのであります。
彼が、自由と希望の天地・アメリカの各都市を訪れたのは、
この時でありました。講演の要請を受けて、
ボストンヘ、シカゴヘと足跡を残しております。

このアメリカで、彼がインドについて、
人間精神の崇高さについて、
絞り出すような思いで語った言葉が著作となり、
世界中の人々の心を揺り動かしていきました。

東洋人として初のノーベル文学賞が贈られたのは、
まさに、このような苦闘の最中であったのであります。
タゴールにとって、
幾重にも意義深き”アメリカとの対話でありました。
黄金の友情を
戦うタゴールにとって何よりの収穫は、
理想を共有する世界の良識と、
終生にわたる友情を結べたことでした。

その一人が、マハトマ・ガンジーです。

終生の盟友となった二人でしたが、
すべての考え方が一致していたわけではありません。
時に激しく論争しました。

しかし二人は、「民衆のために戦う」との一点では、
深く一致していました。したがって、
どんなに論争しても、互いの敬愛の念は変わらなかったのです。
タゴールは、八十年の生涯の最後まで、
国際大学の資金繰りのために、
舞踊劇を書き、演出・監督し、公演旅行を続けました。

衰弱した体で、自ら舞台にも立ちました。
ある時、それを知ったガンジーは、
創立者の戦いとは、
これほどまでに壮絶なものなのかと樗然とします。

そして、真心の小切手を同封した手紙を送り、
タゴールの健康を気遣い、いたわったというのであります。
苦境の最中にあって、友の励ましほど、勇気づけてくれるものはありません。
なかんずく、正義で結ばれた「友情」ほど強いものはない。

ところで、タゴールが取り組んだ”教育の理想”とは何であったか。
それは「師弟の交流」でありました。
タゴールは言います。
インドの伝統では、
「師の魂の成長に伴って、弟子の魂が育っていった」。
私の心をとらえたのは、
「高い憧れと望みの生活を、師と弟子が、共に分け合う教育」
であると。

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