NO.121 今日学んだ事

Oct 31, 2016

今日学んだ事を書かせてもらいます。

夜中12時頃、自分がDJしているフロアは満杯でしたが、
例のごとく、東京ではよくあることですが、いわゆるお巡り(語弊があるかもしれないがそれぞれ職はあっても、周りからすれば)が来て、音を止めろと、盛り上がっているフロアの音量が警察が帰るまで、半分以下に下げられたのです。
それでも、音楽を聴こうと、楽しもうとしている人達はそれをやめるわけもなく、その微細な音を、ある意味注意深く聴く事で、よりその音楽のヤバさ(その奥深さ)を聴いてくれ、踊り続けてくれていました。そして、そのフロアはエクスタシーに見舞われたのです。

それは大きな声や、大げさな態度とは違う、地味で、小さく、耳を澄ませないと聴こえない様な、その声を聴き取ろうとする様に、小さな音でフロアが『逆に』満たされていったのです。
それは初めての体験ではなかったのですけど、改めて、その表現(大きな音では無く、小さな音でする表現)の重要さ、奥深さに惹かれたというか、まさしく関心、感動したのです。

どれだけ警察や社会が、それを止めようとしても、何万人もの人が強制移住されても、法律上で違法じゃないとして、原発や兵器を保護するシステムがあったと しても、僕らのその、音楽を聴こうと,人生を楽しもうとする行為は止められないし、止めるべきではないし、自分がそういう人達から、お金を貰っている立場 としても笑、絶対に止めたくないのです。

これは自由への闘争とか、綺麗事ではなく、憲法(傀儡のものだとしても)でも保証されている、『生きる』行為そのものなのです。
改めて、今晩起こった素晴らしい体験は、自分の記憶に残すべく、この文章で刻もうと思います。
注意深く、その微細な音=声を聴こうと、観ようとする行為は、とてもサイケデリック=精神的で、とても豊かで、奥深いものです。
全ての人は産まれてから、聴き、読み、覚え、そして話したり、行動したりして成長していくものです。
失敗も、成功も『その時』では決まりませんが、いずれにしても学んだ事が、唯一の死への土産になるものです。
僕らはこの世界で起こった事を注意深く聴き、そこに感動し、共有し、その感動をまた伝え合い、脈々と続く人類の歴史の主人公として、誇り高く生きていく事を指針とします。

改めて、
逆境とも言えるシステムとの対峙を
常日頃感じているダンスホールのオーナーやオーガナイザーに、最大限の感謝と尊敬を。
そしてそのフロアで自覚的ではなくとも、己の中の神聖な、その息吹を発散出来るダンサー達に愛を。
すべての生きようとする行為に純度高く行動している人達すべてに愛を。
これを読んでくれた貴方にも愛を。
酒の勢いもありますが笑、
言いたい事はそれだけです。
そして昨日世界で発売された新作。
僕がイスラエルという国家にどれだけ憎悪があるか、ご存知の方も多いと思います。
それでもユダヤ人とか、どうとかというレイシスト、人種差別主義者には成り下がりたくありませんでしたし、それがこの様なクリエイティブな、創造的な関係性の中に作品として世界に提示出来た事を、本当に嬉しく思います。

昨日もこの余波か、韓国からのDJのオファーや、アムステルダム在住のトルコ人が営むレーベルからのリリースオファーがあったり、この大きく、小さい地球の中で自分の存在が、まさしく昇華されている事に感謝しています。
40過ぎて、初めて自覚する、この自意識の遅さも寛容に見続けてくれている仲間達にも感謝の言葉が尽きません。
まだまだ攻め続けさせて頂きます!
それでは寝ます。

20160420

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