NO.146 中村とうよう

Jul 10, 2017

Dommune開設当初、宇川君に「誰と対談したい?」と訊かれ「中村とうよう」と答えたら「とうようさんは気難しくて有名だから難しいな〜」と言われ、それは実現しなかった。
そしてその数年後に亡くなった事を聞いた。
12歳から一人でレコード屋に行き、店員さんに絡みw様々なレコードを聴かせて貰ってきたが、民族音楽、ワールドミュージックのコーナーでこの人の名前を避けて通ることは出来ず、漠然と凄く詳しい人なんだろうな〜と10代から思っていた。
ミュージックマガジンはあまり熱心には読んでいなかったのだが、NY在住だった友人(Bing君)から絶対読んだ方がいい、と言われ、即購入し、面白くてあっと言う間に読めた「大衆音楽の真実」は福岡在住時に読んだのだが、今もその影響を噛み締めながら生きている。
今日フライヤー撒きがてら、渋谷エルスールに寄ると、すぐこれが眼に入り、以前からとうようさんの逸話を聴かせてくれる店主、原田さんに改めて、プライ ベートな事や、いかに音楽に人生全てを捧げた人だったか(原田さんはそういう言い方はしないけど)等、物凄く感慨深い話を聴かせて貰った。
自分なりには30年間貪欲に音楽を、なるべく広く、深く聴いてきたつもりではあるけど、やはり15から音楽をやる立場にもなってしまい、おろそかになって しまったその「聴く」という、ある意味謙虚な行為は、また作る、演奏する、とは違う次元で、でもある意味行き着く無我、みたいな境地はあるのかもしれない と話を聞いていて深く思った。
この分厚い本は、ある個人のストーリーではあるけど、「音楽」なのかもしれない。
それにしても、とうようさんの顔、全然知らなかったが、いい顔してる。

下記はこの本からの抜粋


 

大 学2年生のころの僕はオーケストラでジャズを演奏するエリントンの偉大さ、なんてことすら知らなかった。ひたすら惹かれたのはあの底知れぬ悲痛さだった。 どこからあの悲しみが湧き出てくるのか、とエリントンの奥底を懸命に覗き込み、彼の手に入るだけのレコードを聴き、ほかのジャズも聴き、ジャズの源にさか のぼろうとしているうちにブルースに出会い、ゴスペルにぶつかり、その他の黒人音楽の広大な世界にさまよりこんでしまったわけで、僕にとっては 『Black& Tan Fantasy』の悲しさがすべての道の入り口だった。
1984ミュージックマガジン




東京において中南米音楽研究会の歴史がスタートしたのは、まだ戦前だった1940年、5月。創立者は当時銀座の十字屋というレコード店におられた加藤正彦さんと最初のラテン音楽評論家ともいえる高橋忠雄さんだった。

中南米音楽の会報の為に書いた中村とうよう最初の原稿。

~牛の歌と現代の文明~(当時大学4年生)
『演 奏家と聴衆とが一応分離するようになっても、演奏者は常に聴衆の掛け声や拍子、更には態度や表情によって心の交流をうけているわけです。民族音楽といわれ るようなものはすべて演奏者と聴衆とが未分化の状態にあり、素朴な生活感情や汚れぬ人間の魂の喜びや悲しみがそのまま音楽となったものであると 思います。演奏者というものが職業化してからも、演奏者と聴衆はやはり生活の喜びと悲しみを一緒に味わいあっているならば、芸術の本来の姿を保っているも のといえるでしょう。ところが、音楽がマスコミに基礎を置くようになると、もはや、演奏者と鑑賞者の相互浸透はありえません。むしろ大衆の好みの流行さえ も、企業者(レコード会社や放送屋)によって作り出される状態で、ここには本来の芸術の姿はありません。』
1954年



 

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