NO.235 中村哲 追悼

Dec 13, 2019

2001年の9/11直後から始まった明らかに不可解な米のアフガニスタン空爆に小泉は自衛隊を差し出した。‬
‪息子が産まれたばかりでもあり、憤慨し、当時イスラームの事や中東諸国の関係性も知らずに東京ジャミーに一人で相談しに行ったが、何も出来ず、しかし何かせずにはいられないと、マドモアゼル朱鷺ちゃんの実家で「和プロジェクト」発足。9/11から1週間後だったか。‬
‪(NXSのアルバム制作真っ只中。)‬

https://youtu.be/UPq5RcfPRsY


(‪和プロジェクトに同行撮影した川口潤監督の初期作品。‬音源はJUZU。当時みんな20代だから若い!熱い!宇川君曰く日本最初のサウンドデモらしい)‬

‪憂国運動という曖昧な目的だったが、全国各地の友人達も協力してくれ、その年の12月頭に代々木公園の周りをサウンドシステムカーでデモ、広場には約7000人が参加しライブやDJをした。‬
‪そのメインイベントはクリスマス12/24に広島のクラブ、ライブハウスや港(ボアダムスやGOMAのライブ)など10箇所以上でサーキットをし、原爆 ドーム前でアイヌとハワイのシャーマンの儀式をやり、その映像を似島学園という養護施設(戦争時に暗く悲しい話がある)に届けるという壮大なプロジェクト だった。‬

‪アフガニスタン空爆に反対し、かつ既に不条理な被害を被っている人達に何が出来るか、と議論した結果、自分の福岡の友人の親父さんの同級生だった中村哲さんのペシャワール会が募金先となり、約80万円を寄付する事となった。‬
‪それにより、中村哲を知り、このペシャワール会の会報で哲さんの動向を知れるようになった。‬
‪哲さん自身がこの会報にほぼ毎回寄稿する文章が、その行動から、身体から滲み出る、その深い知性、鮮やかな感受性を感じられ、また素晴らしかった。
任侠、仁義という言葉にリアリティをここまで感じさせる人は現存では体験した事がないのだが、その後知ることになる哲さんのお祖父さんを題材にした小説「花と竜」を読むと納得。‬
‪自分のお祖母さんが旦那である自分のお祖父さんの名前を背中に掘っている家庭にしか生まれないであろう、その義、絶対裏切らない、という人間としての堅い絆が根底にある。
何百の井戸、巨大な用水路まで建設し、何千人、何万人もの人達の生活を救うという、まさに偉業を成し遂げるには強固な信念=信じる力が必要だ。‬
‪事業としても、まだ途中であったし、11年前に哲さんと同じように不条理な銃弾に倒れたペシャワール会の作業員であった伊藤君の事も、哲さんのことだから、きっと責任を感じていただろう。‬
‪とにかく無念で致し方無い。‬
‪自分にとっては中村哲は、ガンジーやルーサーキングJR牧師、マンデラなどと同じランクの人物だと思っていて、生きている、その生の声を聞けただけでも、ありがたい事だったと思っている。
以前自分が福岡在住時、哲さんの地元、福岡での講演の中、米軍基地問題について、「自分の身を自分で守れないような男は男らしくない!自分の身も守れないような奴が家族や仲間を守れるわけがない。」‬
‪とまさに男塾な言動で会場がウォーっと沸いたのが忘れられない。‬
‪決して大きな体格をしてるわけでない、むしろ相当小さい哲さんだが、その眼光は先述した発言を嘘だとは言わせない闘志を感じさせる。‬
‪アフガニスタンに興味は無かったが、昆虫、特に無類の蝶🦋好きで、貴重な蝶が見れるかもしれない、という動機で医師として赴任することになったらしいが、その少年の様な好奇心や美しいものを見たいという感性などが統合され、あの人格が出来ているのだと思う。‬
‪本当に魅力的な人だった。‬
‪昨日福岡で葬儀が行われ、肉体として本当にこの世界からいなくなってしまったが、僕らの中で今後も尊敬できる大人のモデルであり、目標として生き続けるだろう。‬

2009年にペシャワール会から発行された念願の用水路完成の報告の号外に書かれた哲さんの文章。冷静ながらも熱い魂が感じられると思うので‪見にくいかもしれないが、是非読んで頂きたい。‬
‪また先述した、2008年に亡くなられた伊藤君の写真も素晴らしいので、自分が福岡のペシャワール会で直接購入した写真集から抜粋掲載。‬

‪二人のご冥福を祈ります。‬
‪Salaam Aleikoum‬
‪Rest in Peace‬