ZEN RYDAZ『ZEN TRAX2』
J.A.K.A.M Interview
Photo : Nobuhiro Fukami @MOVEMENTS ONENESS GATHERING 2021


 2021年12月2日、ZEN RYDAZ『ZEN TRAX2』が遂にリリースされた。それに伴い出演アーティストが全員揃ったライヴ映像も、「THAT IS GOOD 絶景」にて公開がスタート。 MACKA-CHIN、MaL、J.A.K.A.Mの3人を軸に、14名のラッパー、奏者が参加したこの今作、実にさまざまな側面とストーリーを持ち合わせ、まるでオムニバス映画を観ているような感覚にも陥る。 どこを切り取っても一寸の狂いもない、というか、狂っているのかもしれないけど、初めて食らうこの掴みきれない衝撃を、まだ消化しきれていないのが現時点の自分の印象だ。

J.A.K.A.M.、Kuniyuki Takahashi、Marcus Henrikssonから成るMystics『5th ELEMENET』、J.A.K.A.M. meets TAVITO NANAO『Prometheus』、CPS(SINKICHI + J.A.K.A.M.)『Asian Dub Chapter.3』と、 今年は、J.A.K.A.Mが新作をリリースする度に作品について話を聞いてきた。ともに楽曲を制作している人たちのメンツを見れば、どれも一筋縄ではいかない作品でないことがわかると思うし、プロジェクトにより、 向かうサウンドの方向やテーマも実にさまざまである。その中で共通しているのは、「何故、今この時代に、この作品を生み、音楽として残すのか」といった明確なメッセージがどの楽曲にも託されていること (各々のインタビューも是非読んでみてほしい)。約3年前始動した、1974年生まれの同じ年のメンツが集まったZEN RYDAZも、メインメンバーのMACKA-CHIN、MaLが言うところの「映画監督」的存在のJ.A.K.A.M.が描く壮大なストーリーのもとに、 参加した各々の演者たちが今思うメッセージを、言葉や音色に変えリスナーへと伝道してくれている。

『ZEN TRAX2』がリリースされるにあたり、この数週間でMACKA-CHIN × MaLのインタビューを筆頭に、ラッパー、奏者などの演者から、アルバム制作に携わったデザイナー、映像制作チームまで、ほぼ全員に今作について話を聞いてきた。 何故それを行なったかというと、『ZEN TRAX2』に携わった1人1人が表現者としてこのアルバムに携わっていると感じたからである。それを強く感じたのは、10月に大葉キャンプ場で開催された「ONENESS GATHERING 2021」でのZEN RYDAZのライヴだった。 この日、初めてスタジオを離れて野外のサウンドシステムで鳴らした音、互いに初めて顔を合わせるアーティスト同士もいたという中で、深夜に行われた彼らのハンパないベース音と、演者たちのエネルギーに満ち溢れたパフォーマンスに度肝を抜いた。 その感じは一言「すげえ」。

そのライヴを経て、ZEN RYDAZ御一行はプロモーションビデオを撮影するのではなく、自分たちの足跡を映像で残すために、宮城県化女沼にある廃墟の遊園地にてライヴ映像の撮影を決行した。 参加アーティスト=メンバーがほぼ出揃い月明かりの下、深夜に始まったライヴ。普段は各々の現場で先頭をきって活躍する強者たちが、ひとつの使命を背負い集結したように感じた。 ところで何故この度、廃墟と言う場所にて撮影を行なったのか。ここにも理由があった。前置きが長くなってしまったけどここから先は、ZEN RYDAZの首謀者(いい意味で)であるJ.A.K.A.M.こと、JUZU a.k.a MOOCHYに今作について話を聞いてみよう。 ……と、そうそう。廃墟っていうのは何やら前回『ZEN TRAX』のインタビューをした際に自分が話をしていたらしい。「ZEN RYDAZって、なんか廃墟が似合うんですよね」と。


ZEN RYDAZ LIVE@化女沼レジャーランド

J.A.K.A.M.:あのとき今年4月の加奈ちゃんはインタビューで「廃墟」って言ったんだよね。それって各々のZEN RYDAZに対するイマジネーションだと思うんだけど、イマジネーションの連鎖って面白いじゃない。 あのとき俺がラマダーン中だったからかもしれないけど、空耳になっちゃって、廃墟に「遊園地」という言葉も付いて聞こえちゃって「やべえ」ってなって。空耳だって自分でも気づいてたけど、 俺が聞こえてきた「廃墟」「遊園地」っていうワードにやられてたんだよね。「それいける!」みたいな(笑)。それから俺は廃墟の遊園地を探しはじめたんだけど、今回アルバムっていう単位で「廃墟の遊園地」っていうテーマがなかったら、 全然違うものになっていたかなっていうのはある。

―なんだろうなあ。人の手で作られて、人の痕跡が残る廃墟って、放置されているかもしれないけど、スクワットじゃないけど、また人の手で再生すれば強いエネルギーが宿るみたいな。そんなイメージがZEN RYDAZにあったのかもしれない。 ライダーだし、映画で言えば『マッドマックス』とか、自分たちの未来に向けて戦うみたいな。

J.A.K.A.M.:俺の中で未来、SFっていうのは同時にテーマになっていて、小学校の頃から『AKIRA』ってアニメとかを観て、俺たちこんな感じだなと思ったりしていたし、親父方の叔母がSF好きで、 ちなみに今話題のファイザー製薬にその当時勤めていて(笑)、子供の頃からSFをその叔母に観せられてたんだけど、『ブレードランナー』とかも小学校1年の頃とかに観ていて、なんか人生観がマッドな部分っていうの?…… 狂った未来とか、病んだ未来とか、怖い未来とか、強烈に幼少の頃から叩きこまれていたから。当時のSFってちょっとダークな感じのイメージがあるんだけど、それが子供の頃にその親父方の両親とその叔母たちが住んでた千葉の市川の光景に結びつくことが多くて。 市川は工業地帯だから、当時は鼻をつままないと外歩けないくらいドブ臭くて、光化学スモッグ注意報とかしょっちゅう出ていたし、本当に空気が悪かった。幼少に住んだ千葉の稲毛の団地からその後に住んだ中野や高円寺も環七沿いで、 暴走族もいたし、排気ガスも酷くて結構エグいところだったんだけど、そんな環境で育っていた中で、全然楽しいとか笑えるわけでもないのに、SFにワクワクしたりとか。なんだろうね、面白かったんだよね。

―ダーク(闇)とか、狂った未来にワクワクする、マッドな子供だ。

J.A.K.A.M.:そうかもしれない。ジョージ・ルーカスが1番最初に作った映画『THX 1138』とか、それこそディストピアというか。管理社会とか、絶望的な未来の中でも生きようとする主人公が昔の映画には多いと思うんだけど、 今の2021年の俺たちって、もはやその時代のSFに生きてるじゃない。街を歩けばみんなマスクしてマッドな状況っていうか、昨年のBLACK LIVES MATTERとかもそうだし、人間社会が鬱積したストレスみたいなのを抱えながら、 その中で俺は何気にこの間47歳になってさ。大阪で誕生日を迎えて友達と飲みに行ったんだけど、たまたまその居酒屋にいた人が俺と同じ年だったんだけど、世間の47歳ってこんな感じなんだって。子供の頃はませがきである意味老けていたけど、 いつの間にか自分が世間の平均よりも若く見られる存在になっていて、今回、なかむらみなみの曲を作ったときに、みなみのプロデューサーでもあるTREKKIE TRAXのアンドリューからスキルトレードって形で、「3D」って曲のリミックスを頼まれたの。 MaLが彼らから音源をもらって速攻でベーシックなトラックを作って、それを俺がノリノリで解体しまくって構築し直して、ヨシテル(MACKA-CHIN)がラップする部分を空けたの。それでヨシテルに「ラップするでしょ」って聞いたら、 「Saint Vegaってラッパー『このディストピア、どうにかしろよ、大人』って感じのこと言ってるけど、これは大人をディスってるってことでいいんだよね」って聞いてきて。そのとき俺、「は!」としたの。「俺も大人だった!」ってそのときに思って、 自分もディスられる対象になってるってことにも気づいて、それが自分的にマジでショッキングで。「俺も大人だった!」って、そのときに俺は精神年齢が15歳で止まっていたことに気付いてさ。


Photo : Nobuhiro Fukami @MOVEMENTS ONENESS GATHERING 2021

―(笑)。だから音楽をいつも熱い気持ちで作ることができるんじゃないんですか? それと世代とか関係なく、ガチで向き合ってものを作ることができる。

J.A.K.A.M.:15歳のときに学校を停学になって土方やっていたときに「音楽しかねえ」って思ってたけど、それ以前からミロスガレージやらCHECK YOURE MICやらに行ってて、音楽もヒップホップもテクノもなんでも聴いてたけど、 学校に学生として戻ったらバンドやろうって決意して、「グラインドコアしかねえ」「エナジーを燃焼するのは音楽しかねえ」「このクソな世の中で生きるには音楽しかねえ!!!」みたいになってて。 だけどグラインドコアで食ってこうとかは当然思っていなかったし、今も一緒だけどその頃からメジャー志向とか、有名なレーベルにテープを送ろうとか一切なくて。 18歳くらいの頃から自分で稼いだ金で自分のバンドの音を録音して、業者に頼んでテープ100本とか作って、納品書持って新宿のレコード屋を回って売ってたんだよね。それをCOCOBATの坂本くん(TAKE-SHIT)が気に入ってくれて、 勝手にパスヘッド(Pushead:メタリカのジャケットなども手がけるカリフォルニアのスケートシーンとも密接に関係するイラストレーター)に送って、パスヘッドがうちから出したいみたいになって。 ちなみに最初の打ち込みで作った作品はビースティーボーイズの「GRAND ROYAL」からのリリースなのよ。RHYTHM FREAKSに遊びに来てくれていたヤン富田氏のマネージャーだった南部くんが、バッファロードーターの人たちとも繋がっていて。 俺自身は「聴いてください」とか一切言ったことはなくて、自分のやりたいことだけやるっていうか、ある意味人に頼らないというか、誰にも期待しないというか。 自分がやりたいことしかやる気がないみたいな。それってeyezen 愛染のリリックじゃないけど、「蹴っ飛ばした財宝、そんなんじゃないっしょ」って、あいつもいろいろあってそういうリリックが出てきているけど、そんな感じなんだよね。

―音楽を通じて自分の何か、奥底にある何かを伝えたかったんだね。そこにお金設けとかは、関係しないというか。

J.A.K.A.M.:うちの母親は私生児だったってことを俺は22歳のときに知ったんだけど、それまでそのうちの母親の実家に住んでいたんだんけど、それを知る前から何ていうか仮住まいっていうか、人の家に住んでいるみたいな感じがしたんだよね。 俺、親戚もいないし、墓も田舎もないから、だからいろんな意味で逃げる場所も、隠れる場所もなくて、俺はどこで死んでも一緒っていうか、俺自身が幼少の頃からディストピアに生きていたっていうか。たぶん温かい「何か」みたいなものがなくて、 親父は知多半島で愛人の息子の息子として生まれて、伊勢湾台風で家を流されて、それでドブくさい工業地帯がある市川に引っ越してきてって、俺自体の幼少の記憶の中にも海とか川とか綺麗な景色とか全くなくて、、 20歳以前にそういう綺麗な思い出はほぼ皆無なんだよね。10代の頃には自分の周りにもナイフとか拳銃とかの世界が存在してたし、その中でバイク乗ってスケボーしてっていう、まさに『AKIRA』ぽい世界観っていうか。 俺、10代の頃から渋谷の電力館に「NO NUKES」とか書いちゃうガキだったし、社会政治的な面でもダークなところに辿り着いたりもしているしさ、その中で俺を生かしてくれるのは音楽しかなかったから。その蜘蛛の糸っていうか、光。 だから話がそれちゃったけど、自分の中ではZEN RYDAZも暗闇から光に向かう感じでやっているんだよね。

―音楽をやってきているのか、軌跡を聞くとじわじわと理解できはじめているような。

J.A.K.A.M.:でさ、去年インドに行ってアーユルヴェーダってものを3週間学んだことで、影響を受けたことがあったんだよね。過去・現在・未来っていうテーマを持つ中で、生きる術だよね。 リアルな処世術として、過去・現在・未来を設定することで、自分というものを把握できる。未来っていうものは誰もわからない。だけどアーユルヴェーダのドクターが言うには、「自分が良いと思う未来をとにかく想像しろ」って。 「ただ、お前にとってその良い未来っていうのはなんなのかを考えろ」って。大金持ちになってデカい家を持つこと、綺麗な女を持つこととか、そんなことじゃないだろって。一番重要なのは「愛されて、健康であること」だろって。 そういうイニシエイション的なものが5000年前から存在するアーユルヴェーダのシローダーラーっていうトリートする儀式にあるんだけど、そりゃビートルズもインドまで来るよねっていう。 なんかリアルにサイケデリックな話っていうか、究極なサイケデリックって死だからさ。死が1番サイケデリックで、死に近づけば近づくほどサイケデリックなわけだからさ。 だから自分が死ぬ瞬間を考えられるかは重要だし、それが俺たちが与えられた時間だと思うし、哲学とか宗教とか文学とか、アートとかに課せられた使命だと思うんだよね……「死」っていうものと向き合うことは。

―……(何も言葉を返せず、うなずくのみ)。

J.A.K.A.M.: で、今回の廃墟みたいなものも、自分にとっては「死」の匂いがするわけよ。無の世界。実際には微生物でも、鳥でも昆虫でもいるわけだけど、そこにもやっぱり「死」の影がある。やっぱり無だよね。 そんな中でも俺がダーク・ディストピアで終わらせなかったのは、アーユルヴェーダのおかげだと思う。

―光に向かっていったんだね。

J.A.K.A.M.:「死」っていうのは誰にでも訪れるし、誰でも絶対に避けて通れないと思うけど、結局「永遠の光」なんていうのはなくて、いつかは無くなる。だけど、その光はまた登ってくるっていう。 そういう生命の連鎖みたいなことを含めて、完全なハッピーエンドではないと俺は思うんだけど、そこには憂いがあるというか。廃墟っていうところで、侘び寂びの、寂びの世界に。俺たちも1秒単位で老いていくけど、いかにそれが渋い生き方にできるのかっていう。 所詮錆びて朽ちていくんだけど、いい錆び方をしているのか。陶芸とか、お茶の世界でもあるじゃない。そういった侘び寂び。枯葉みたいなものに寂しさを感じたり、その瞬間だからこそのプレシャス(貴重な、尊い)なものを感じというか。 やっぱ永遠の若さもないし、永遠の命もないし、そこでたくましく生きる何か……生命みたいなもの、音楽もそのひとつの象徴であって、そうあるべきであるというか。なんか憂いのあるものだと思っているんだけど。

―さっき「15歳の感覚で俺は止まっている」みたいなことを言っていたけど、止まっているというか、仙人のような領域に行き着いている感じがしますけれども。だけど神の領域というより、 もっとリアルだし、なんかまだまだ生身の人間が生きるという過程での中で、模索しているというか。

J.A.K.A.M.:俺は社会に憤りを感じてきたし、人間に対する憎悪が深いけど、でも音楽を通していろんな人たちに出会えてたことは悪くない。偽善に満ちているこの世界にも、音楽が好きな人たちが世界中にいっぱいいて、 やっぱりそこで救われているっていう事実はだいぶ大きくて。だからヨシテルとか、「宮脇、お前は音楽があって、本当に、本当に良かったな」ってマジで何度も言われる。これで俺が音楽っていうフィールドがなかったら、 俺は危ない人だったのかもしれないよね。だけど、そのマッドな感じ、ダークな感じはZEN RYDAZにも入っていると思うし、D.D.Sがアンケートで、俺のシス(映画『スターウォーズ』のなかの暗黒系登場人物)度に気付いていたけど、暗黒なんだよね。 で、今回参加してくれている演者たちもみんなどこかに闇を、ダークなマインドを保持している奴らばかりだし。音楽とか芸術とかに没頭したり、身を捧げる人たちって、どこかでその部分を持っているというか、やっぱり還るところがないんだと思うんだよね。 だからきっとみんな、その闇をどうやって浄化するのかを考えながら各々の表現をしている。現代社会でどれくらいみんなが病んでいるのかは、目で見てわかるものじゃないけど、普通の神経してたら、今の世の中は病んでいると思うと思うんだよ。 その闇を浄化させて、クリエイティヴな行為でそれを打破しているのが、俺らたちみたいな奴らなんじゃないかな。

―闇の中にいても、いつもどこかで光と居場所を探している。

J.A.K.A.M.:自分が表現することによって、他者と初めて理解し合えるというかさ。苦しみとか、喜びとかを含め。トラックメイカーにしろ、ラッパーにしろ、楽器演奏者にしろやっぱ1人で考えないと編み出せないし、作れないから。 いわゆるオタクな子たちの価値観の共有も、やっぱ孤独からきてるからさ。隔絶した社会との間を埋める術。それが俺らにとっては音楽って感じで、そこで改めてなんていうのか、ぬくもりみたいなのを感じたりして。 共有する何か……それが音楽のジャンルが一緒だとか、そういうことでは全然なくって。




―俺は1人じゃねえ!! 闇にはいねえ!! って、思う人もいるかもしれないけど、闇と孤独を抱えるものたちが集まったのが、ZEN RYDAZなのかな。 だからそこで何かを互いに共有したときに爆発するエネルギーみたいなのが、ライヴには出ていたのかも。

J.A.K.A.M.:今回の化女沼のライヴのストーリーとしては、まさに強制収容所から脱獄してきた集団が、つかの間の自由を楽しむっていうのがテーマ、イメージだったから(笑)。 俺を含めパクられた経験があるヤツも何人かいるし、檻の中も外も一緒だっていう感覚もわかってるし、だからこの社会に生きる人生という監獄から脱獄してのつかの間のパーティっていうか。 どこかでみんな、囚われている部分っていうかさ。そこでみんな表現として解放するみたいな。それがあのライヴの光景にでている。神がそこに滞在していたかはわからないけど、ジャケットの月とか合成じゃないからね。 俺、もう何年も満月とか新月とか言ってるじゃん。なんか最近、月に対しての認識が深まっている気もするんだけど、闇の住人たちにとって月は大事なんだよね。今回も制作においても月というものが、いつもンクロしていた。ジャケットにあの写真を使ったのは良かったでしょ。

―そこに入っている、”ZEN RYDAZ”って名前がまたなんとも良いんだよね。

J.A.K.A.M.:そうそう。で、 NAGAN SERVERのリリックで「WE ARE ZEN RYDAZ」って。俺的にもアガったし、俺ら3人だけじゃないっていうか。みんながいてのZEN RYDAZなんだって改めて思ったしね。




 『ZEN TRAX』から、『ZEN TRAX2』が出来上がるまで、これまでに何時間もJ.A.K.A.M.と話をしてきた。きっと自分と同じように、各々のメンバーとも話をしてコミュニケーションをとって、笑える話から、 深い話まで、J.A.K.A.M.はしてきたと思う。実際に作品が出来上がって改めて感じる、新しい光。それは彼らのサウンドから、リリックから感じることができるはずだ。まだまだ書き足りない話は山ほどあるけれど、 今日はここら辺でJ.A.K.A.M.の『ZEN TRAX2』に関する話は終わりにしよう。これを読んでくれた人たちが、彼らのライヴを実際に観たら、きっと音楽を通じて「何か」を感じることができることと思う。 WE ARE ZEN RYDAZの “WE”が、フロアで増えたとき「何か」が変わるんじゃないかと個人的に期待している。

(終)

Text:Kana Yoshioka


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